乗り合い方式の公共交通機関は、道路ならバス、線路なら電車やディーゼルカーと、種類の棲み分けがハッキリしている。そんな中、形はバスとよく似ていて「路線バス」と「列車」両方の機能を持った不思議な乗り物も存在する。
文・写真:中山修一
(バス/鉄道両用車にまつわる写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■バス以上電車未満な需要
公共交通機関での移動は、道路上は路線バスを使い、駅に着いたら列車に乗り換えるのが一般的。それでも乗ってきたバスがそのまま線路を走って行けば確かに便利そうだし、実際に現物が作られている。
道路と線路を1台でこなす旅客用の乗り物を作ろう、という発想が生まれたのは最近の話ではなく、ちょっと掘り下げると相当昔の時代まで遡れる。
ただし、誕生のきっかけは便利さの追求よりも、鉄道会社が抱える問題が深く関わっていた。
いわゆるローカル線と呼ばれる、日頃あまり客の乗らない不採算路線は昔から存在していた。通常の列車で運行するにはコストがかかりすぎる。
かといって、あくまで公共サービスの鉄道を、無闇に廃止するわけにはいかない事情があったようだ。
そこで、ローカル線の終点など、末端部分のマクロな交通をカバーしている路線バスが、そのまま線路に乗り入れて幹線の駅まで行けば、現状のインフラを活用しつつコストが抑えられるのでは? と考えた人がいたわけだ。
■はじまりはヨーロッパから
記録に残っているもので、ごく初期に道路/線路両方を走れる乗り物が作られたのは1930年代始め頃の英国。「Ro-Railer(ロードレール・ビークル)」と呼ばれる、路線バスをベースにした車両だ。
長さ約7.9m、幅約2.3m、26人乗りの少し小ぶりな車体で、通常のバス車両と同じフェンダーの位置に、外側にゴムタイヤ、内側に鉄車輪が取り付けられていた。
鉄道モードへの切り替えは大型レンチを使って手動(ゴムタイヤを持ち上げ固定して接地しないようにする)で行った。
道路上を60km/h、線路上を75km/hで走る計画であった。ところが実車を製作して試験に入ってみると、車体重量が軽いため鉄道モード時の粘着力が足りず勾配を登れない、振動が大きすぎる等の問題が多く、ごく短期間で立ち消えとなってしまった。
次に登場した代表的なものが、1950年代に開発された西ドイツ国鉄の「シーネン・シュトラッセン・オムニブス」だ。シーネン=鉄路、シュトラッセン=道路、オムニブス=バスなので、ほぼそのままの意味が名称になっている。
この車両は、長さ約11m、幅2.5mの、丸みを帯びた可愛らしいボディが載せられており、定員は67人。日本で言うところの大型路線車に近いサイズだ。最高速度は道路:80km/h、線路:120km/hであった。
一応は道路/線路両用の乗り物に含まれるものの、鉄道モード時には外付けの台車を履かせる方式が採られており、駅に着くとその台車を取り付けるために大掛かりな作業が必要であった。
シーネン・シュトラッセン・オムニブスは各ローカル線で営業運転が行われたとされる。ただしこちらも諸問題から運行期間はごく短く、用意された車両も大半が、台車を履かせず普通の路線バスとして使われたらしい。
■うまく行かない「いいとこ取り」
英国と西ドイツに続き、やはりローカル線の赤字が問題になっていた日本の国鉄でも、運行コストを抑えるべく道路と線路を1台で賄える交通機関が、1960年代に研究されている。
名称は「アンヒビアンバス」。乗り物では通常、アンヒビアン=水陸両用車の意味になるが、“両棲”という点では水陸も軌陸も同等ということで、この名が付けられたようだ。
当時発売していたキャブオーバー方式の路線バス車両がベースで、全長10.6m、幅2.5m、70人ほどを乗せて最高100km/h程度で走行させる計画であった。
実車が作られ試験も行われている。ところがアンヒビアンバスも問題が多く、実用化には至らなかった。
その後何十年も経ち、2002年に再び道路/線路両用の乗り物が注目されることになる。多くの閑散路線を抱えていたJR北海道が開発に本腰を入れたのだ。
JR北海道が計画した車両は、マイクロバスをベースに格納式の鉄車輪を取り付け、乗客を乗せたまま短時間で道路/鉄道モードの切り替えを行うというもので、「DMV(デュアル・モード・ビークル)」の名称が付けられた。
道路上は普通のバスとして走行し、線路に入る際は車体の前後に格納している鉄車輪を下ろし、車体を少し浮かせてレールに載せる。
鉄車輪に動力は繋がっておらず、鉄道モード時は後輪ダブルタイヤの内側をレールに密着させて、道路モード時と同様にタイヤを回して走らせる仕組みだ。
2007年4月から、釧網本線の浜小清水〜藻琴2.9kmの区間で、予約制の試験営業運転を始め、各種データの収集が行われた。
ところが数年後に訪れるJR北海道の方針転換によって、2014年9月にDMVの導入を断念する結果となってしまった。
■ついに軌陸両用の時代が来た!!
一石二鳥を目論むも、二兎を追う者は……の憂き目に遭うばかりの軌陸両用車であったが、JR北海道が導入を断念したDMVが、別の場所で脚光を浴びることになった。
DMVに白羽の矢が立った舞台は、四国の徳島県にある第三セクターの「阿佐海岸鉄道」。徳島県南部の海部駅〜高知県の甲浦駅を結ぶ延長8.5kmの路線で、それまでは通常のディーゼルカーが使われていた。
立地上の制約から利用者が極端に少なく、厳しい経営を強いられていた中、利用者の低迷を食い止め持続していける性質を持ちつつ、コストの圧縮ができ経営の改善が見込める乗り物として、選ばれたのがDMVだった。
■実用化に至った超ミラクルな条件
阿佐海岸鉄道には、JR北海道が研究していたものとほぼ同じ仕組みのDMVが採用されている。DMVは車体が軽いため、そのままでは信号システムが反応しなかったり、ポイント通過時に脱線しやすいなど、通常の鉄道車両では起こらない問題点がある。
この時点でDMV導入のハードルは極めて高いと言える。ところが阿佐海岸鉄道線は末端にある路線で、他社の列車乗り入れを行わず、DMVだけが通れる線路システムに仕立て直しが可能だったため、特に対応が困難なインフラの問題をクリアできた。
また、マイクロバスがベースになっている関係で定員が20名程度しかなく、大量輸送には全く不向きである弱点も、普段の利用者が少なく、朝夕の通勤通学需要もあまりなかったことから、こちらもクリアした。
さらに、国が求めるDMV運行の条件の一つ「線路上で行き違いをしないこと」も、単線ながら8.5kmの短い路線だったのが幸いして、ダイヤ次第で線路上での行き違いは不要となり、万事クリアとなった。
DMVを走らせるには大きな制約がある中で、阿佐海岸鉄道には全部クリアできる条件が見事なまでに揃っており、実現に至ったのはまさにミラクルと言える。
その後テストを重ね、2021年12月25日に、阿佐海岸鉄道のDMVは「世界初」の乗り物として、晴れて本格営業運転を始めた。道路と線路どちらも走れる乗り物の発想が生まれて、90年以上が経ってからの本格実用化であった。
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