2025年6月21~22日に開催される第53回ニュルブルクリンク24時間レースにモリゾウさんが参戦するべく、準備を進めている。モリゾウさんがニュルに復帰となれば、2018年以来7年ぶりとなる。なぜモリゾウさんはニュルを走るのか?
文:ベストカーWeb編集部/写真:三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY・ベストカーWeb編集部
■もっといいクルマづくりで成瀬弘さんに恩返しをしたい
9月の始め、モリゾウさんはニュルブルクリンクサーキットに現れた。モリゾウさんのドライビングの師匠であり、最も影響を与えた人物である成瀬弘さんが、不慮の事故で亡くなったのが2010年。成瀬弘さんを悼んで植えられた2本の桜の木に花を手向け、再びニュルブルクリンクの地にやってきたことを報告し、チームの安全を祈った。
今回は車両にトラブルが発生し、モリゾウさんが走ることはなかったが、チームにはこんな挨拶をした。
「来年の24時間に向けてのスタートでもありますが、ルーキーレーシングとGRが、世の中のクルマ好き、運転好きの人たちに、それなりの商品を出すことがGRの使命だと思っています。ここにいる全員の力を借りながら、ぜひともこの活動をやっていきたいと思います。」
モリゾウさんがニュルブルクリンク24時間レースにこだわるのは理由がある。モリゾウさんは成瀬弘さんから
「ニュルブルクリンク24時間レースを一緒に走ってくれたメンバーを大事にしてくれてありがとう。そしてニュルブルクリンクにこだわり、もっといいクルマづくりを続けてくれてありがとう。」
と言葉をかけてもらえたら本望だという。
モリゾウさんが作ったレーシングチーム、ルーキーレーシングには成瀬さんから薫陶を受けたメンバーがいる。成長したそのメンバーたちと再びニュルブルクリンク24時間レースに出場することは、モリゾウさんにとって成瀬さんへの何よりの恩返しなのだ。
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■「モリゾウ」が生まれた場所がニュルブルクリンク
2007年の初参戦以来、2018年まで6度にわたってニュルブルクリンク24時間レースに挑戦してきたモリゾウさん、来年復帰となれば7度目となる。
「ニュルはモリゾウの原点」とサインしていただいたが、モリゾウという名前を使いニュルブルクリンク24時間レースに初挑戦したのが2007年。
トヨタから支援は得られず、中古のアルテッツアをポケットマネーで購入し、レース仕様に仕立てた。当時副社長だったが、危険なレースに出場することに会社は大反対だった。
レースに出場するためには国際C級ライセンスが必要だが、豊田章男の名前では会社に見つかってしまうため、「モリゾウ」を使った。モリゾウは2005年愛知県で開催された「愛・地球博」のキャラクターである森の妖精「モリゾー」から来ている。「モリゾウ」になったのはそのまま使えないからで、あまり考えていなかったというのが本当のところだという。
「ニュルはモリゾウの原点」という意味のひとつにはニュルはモリゾウが生まれた場所だということが挙げられる。そしてモリゾウという名前を得た豊田章男は大きな転機を迎える。
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■2007年の初挑戦で完走した時にモリゾウさんが見せた涙
成瀬弘さんと出会って以来、モリゾウさんはいいクルマをつくりたい。そのためにクルマを正しく評価できるドライバーになりたいと運転トレーニングを続けてきた。エンジニアではないモリゾウさんがいいクルマをつくるには、技術部と渡り合わなければならない。エンジニアとの共通言語を学ぶために、成瀬さんと一緒に必死に走りこんだ。
2007年当時モリゾウさんは副社長だったが、レースに出場することは「ボンボンの道楽」と見られ、また社業でも「どうせ御曹司のあなたには何もできないでしょう」というふうに見られていた。
成瀬弘さんの勧めでモリゾウさんがニュルブルクリンク24時間レースに参戦することを決めたのは、入社以来ずっと疎外感を抱え、「命がけで運転する姿を見てもらうことしか、自分を認めてもらうすべはない」と考えたからだ。
アルテッツアでニュルブルクリンク24時間レースをゴールした時にモリゾウさんは涙を流した。しかし、その涙は完走できたという喜びからだけではなかった。むしろ、誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てもらえない悲しさがこみあげてきたからだという。
「『もっといいクルマをつくろうよ』と言い始めた原点は、この時の悔しさにあるのです」と後に本人は語っている。
その意味でニュルはモリゾウの原点なのだ。
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■参戦車両はGRヤリスDAT、69歳モリゾウさんの挑戦
来年のニュルブルクリンク24時間レースにモリゾウさんが走るなら、69歳での挑戦となる。なぜ、モリゾウさんはニュルブルクリンク24時間レースに挑戦するのか? ひとつは原点回帰の想いがあるのだろう。
ルーキーレーシングを立ち上げ、モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくりを実践してきたモリゾウさんが、ニュルブルクリンク24時間レースに再び挑戦することは大きな意味がある。2007年ニュルブルクリンク24時間レースで誓った「もっといいクルマづくり」の思いを新たにし、現状に満足することなく、進化し続けることを意味するからだ。
いくつもの不具合が出るだろうし、リタイアとなってしまうかもしれない。それでも、2007年の初参戦がそうだったように、モリゾウさんが命がけで運転する姿がトヨタのクルマづくりはもちろん、世の中のクルマ好きに与える影響はとてつもなく大きいはずだ。
個人的には、成瀬弘さんに代わって現在マスタードライバーを務めるモリゾウさんが、ニュルブルクリンク24時間レースを走りながら、成瀬弘さんとどんな会話をするのか、聞いてみたいと思う。
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