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<過酷な競争社会・韓国で支持を集める「不適応的完璧主義」な自分を変える方法。「成果を出しやすい人」になるマインドセットとは>
日本よりも、受験や就活の競争が激しい韓国。それゆえか、「完璧主義」の傾向が強いようだ。
だが昨今、完璧主義にはネガティブなニュアンスが付きまとう。例えば職場においては、長時間労働や残業が忌避され、完璧を追求するスタイルは評価されにくい。本人にとっても大きなストレスになりがちだ。
一方、完璧を追い求めることが、時に期待以上の大きな成果をもたらすのも確かだ。完璧主義は必ずしも悪いことではない。
では、同じ「完璧主義」でも、ストレスや精神的な重荷になってしまう人と、期待以上の成果を上げる人の違いはどこにあるのだろうか?
42歳でパーキンソン病を患い、30年以上にわたり多くの患者を診察してきた精神科医キム・ヘナム氏は、「完璧」よりも「最善」を目指すことが重要だという。
キム氏は昨年、「年甲斐」「分別」「大人げ」「責任」といった、大人だからこそ背負わされてしまう「生きづらさ」を解きほぐす心理学の知恵を集めた著書を出版した。「感情の取り扱い説明書」とでも呼ぶべきその本は、韓国で20万部を突破するベストセラーとなった。
このたび発売された邦訳版『「大人」を解放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)から、一部を抜粋し紹介する。
◇ ◇ ◇韓国就活サイト「ジョブコリア」が会社員の男女1176人を対象に、ある出版社と共同で行ったアンケート調査の結果によると、「職場では完璧さを追求する」と答えた人の割合は67.2%、「完璧主義で成果は上がると思うか?」という質問に「はい」と答えた人の割合も61.3%で、過半数を超えることが明らかになった。
これは会社員10人のうち7人近くが完璧さを追求し、完璧主義は仕事においてプラスに働くと考えていることを物語っている。
人は誰しも優れた人間になりたいと願うものだ。しかし韓国のような厳しい競争社会では、小さなミスも命取りになるという理由からミスできず、人より優れていなければ生き残れないという発想に至るわけで、現代人にとって完璧主義は、誰もが目指すゴールであるとともにストレスだ。
さらに、小さい頃から絶えず兄弟姉妹や友人たちと比べられ、「どうしてあの子みたいにできないの?」、「お姉ちゃんを見習いなさい」、「親に恥をかかせるな」といったネガティブな言葉を多く浴びせられて育った人たちは、実績に対する客観的評価とは関係なく、「自分は至らない」という自己認識に苦しめられる。
世の中には自分より優れた人が山ほどいて、彼らの存在がしきりと自らの至らなさを思い知らせてくるからだ。
そのため自分には至らない部分が多すぎると考えている人たちは、自分の有能さを証明し、認められようとして自分を追いこむ。
ところが、当の本人たちに自分を過度に追いこんでいる自覚はない。それどころか自分は他の人たちと比べて、大それた野望を抱いているわけでもなければ、壮大な夢を描いているわけでもないと言い張るのだ。
たしかに、完璧さの追求は前へ進むための強い原動力になる。人類が現在のような輝かしい発展を遂げられたのは、幾多の成功者たちが完璧を追求してきたおかげだ。だから、完璧を追求すること自体に問題はない。
とはいえ、それも行き過ぎれば自分をすり減らすだけだ。ユタ州立大学の心理学部教授マイケル・トゥーヒグと心理学者クラリッサ・オンは、『不安な完璧主義者のための本』(未邦訳)で完璧主義を適応的完璧主義と不適応的完璧主義に分けた。
適応的完璧主義者は、達成感と高い生産性を追求することで報酬と満足感を得ている人たちだ。彼らはあまり失敗を恐れない。あらゆることにチャレンジしていれば、ミスや失敗はあって当然と考えているからだ。
ただし、彼らは失敗から得た教訓をきちんと糧にして前へ進む。また、非常に現実的な基準を持っているため、目の前の成果をしっかりと喜ぶことができる。
一方、不適応的完璧主義者は目標達成のために四六時中気を張って自らを追い立てるとともに、絶えず自分の力を証明し他者から認められようと頑張ってしまうため、不安や心配、憂うつに加えてストレスに押しつぶされる。
彼らは常に「到達するべき完璧な状態」に届かない自分にストレスを感じているのだ。また、簡単なメールでさえ何回も確認しないと安心して送れないため、いつでも時間に追われている。
さらには現状に満足していないため、決して自分に休むことを許さない。そのため人づき合いが少なく、余暇を楽しむこともできない。与えられた課題を完璧にこなすことばかり考えて平凡な日常を逃してしまうのだ。
彼らはもっと完璧にできれば、もっと成果を挙げさえすれば、すべてが報われると信じ自らにムチを打つ。ところがどんなに努力をしても、そんな瞬間は決して訪れない。
彼らが「到達するべき完璧な状態」と規定しているもの自体が、そもそも達成不可能な目標だからだ。
ヨンジェさんは一度として自分に満足したことがなかった。いつだって何かが足りないような気がしていた。だから、ほんの小さなミスをしただけで、なんて使えない人間なんだと自らを責めた。
彼は先日、ずっと注力してきたプロジェクトで大きな成果を収めた。特別休暇と報奨金まで手に入れ、同僚たちからも祝われた。だがその喜びも一瞬で、翌日せっかくもらった休暇を利用し少し遅い時間に目覚めた彼は、どんよりとふさぎこんでしまった。昨日の成功がしがなく思え、その程度のことで得意になって遅くまで寝ていた自分が情けなくなったのだ。
こうして事あるごとに自分を追い詰める不適応的完璧主義者は、何事も1人でうまくこなせそうに見えるが、実はそんなこともない。彼らは失敗を恐れて、小さなこともなかなか行動に移せない。
もっと正確に言うならば、「失敗そのもの」よりも「失敗した自分に対する周囲の目」におびえて、延々と仕事を先送りしてしまうのだ。そのため立派な計画を立てたはいいが実行できないとか、決められた期限が過ぎても仕事を手放せないということが多々発生するのである。
ところが、彼らはそれでも完璧主義をやめられない。それだけが人から認められ愛されるための唯一の道だと考えているからだ。
これについてアメリカの社会学者ブレネー・ブラウンは、「完璧主義は、私たちが引きずって歩く20トンの鎧だ。私たちは完璧主義が自分の身を守ってくれると信じているが、実のところそれは私たちの自由を奪うものである」と言っている。
だが私は、完璧を追求することに問題があるとは思わない。鎧を脱ぎ捨てる勇気さえ持てば、不適応的完璧主義者も十分に人生の喜びを味わい、人から認められ愛されると思うからだ。
もちろん鎧を脱ぎ捨てるのは簡単なことではない。なぜなら彼らは認められ愛されるために走り続けてきただけなのに、周りに人が集まるどころか1人2人と離れていく理由がわからなくて鎧を脱ぎ捨てたら「出来損ない」の烙印を押されそうだとおびえているからだ。
だとしても、これからはありのままに現実を認めるべきだ。自らを追いこみ責め立てていたら、四六時中何かにせかされるようにして働くことになる。それではすっかり疲れ果て、ミスする確率が上がり、あれほど望んだ完璧さからも遠ざかってしまう。
それに、いつ見ても気が立っているような人間を歓迎する人は誰もいない。
だからもう重い鎧は脱ぎ捨てよう。鎧を脱いで体が軽くなれば、あなたは自由にどこへでも行けて、もっと幸せになれる。
これについてハーバード大学心理学部教授タル・ベン・シャハー著『最善主義が道を拓く――ポジティブ心理学が明かす折れない生き方』(田村源二訳、幸福の科学出版)の韓国語版書籍紹介文には次のようなことが記されている。
「私たちは成功者たちの情熱やたゆまぬ努力に感銘を受け、少しばかり気を抜いたりベストを尽くさなかったりしたという理由で自らにムチを打つ。しかしここで問題なのは、『完璧な人生』など存在せず、完璧主義者たちから見れば満足のいく成果など決してないということだ。
社会的に認められるほどの大きな業績や莫大な富を築いても、さらなる目標に向けて際限なく走り続ける完璧主義者にとって、幸せな人生とは絶対にたどり着けない蜃気楼のようなものである。だから『完璧主義者』ではなく『最善主義者』を目指していこう。
なお、ここでいう『最善』とはベストを尽くさないという意味ではない。可能な範囲で最善を尽くす『ポジティブな完璧主義』ということだ。
『完璧な成功』や『完璧な人生』など存在しないことを受け入れて、人生が一直線の高速道路ではなく、折れ曲がった道であることを理解できるようになれば、私たちは目標指向的な生活を送りながら、今よりはるかに幸せな生活を送れるようになる」
『「大人」を解放する30歳からの心理学』
キム・ヘナム 著
渡辺麻土香 訳
CCCメディアハウス
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