台湾の駅弁の歴史や文化を紹介する展示会「列車に乗って台湾を味わう! 台湾駅弁物語」が東京都港区虎ノ門の台湾文化センターで開かれている。時代ごとに変化してきた駅弁を食品サンプルでリアルに再現するなど、鉄道の旅には欠かせない味の魅力を伝えている。【鈴木玲子】
台湾で駅弁が登場したのは日本統治時代(1895~1945年)にさかのぼる。台湾を統治した日本は各地に鉄道を建設した。1908年に西部の縦貫線が全線開通し、北部・台北と南部・高雄間が約14時間で結ばれた。長距離移動に伴い、駅弁が登場した。
今回の展示では、1914年に4カ所で販売された駅弁を紹介。当時の新聞記事をもとにサンプルで再現したもので、サワラの天ぷらやカジキの塩焼き、卵焼きやカマボコなどが入っていた。駅で売っていた弁当以外の食べ物もパネルで伝えている。
戦後、中国大陸から渡った国民党政権の統治下の状況も伝えている。中国から渡った人たちは、冷めた弁当を食べる習慣はなかった。こうした中で登場したのが、台湾鉄道が56年に開発した「排骨(パイコー)弁当」だ。素揚げの豚のスペアリブ(排骨)をメインに、ご飯はラードとチンゲン菜を加えて炒め合わせた菜飯(なめし)で、大人気となった。61年には2代目の排骨弁当が登場。素揚げの排骨をタレで煮込んで、気温の高い台湾でも弁当が傷まないように工夫した。
台湾で駅弁と言えば排骨弁当が定番だ。2005年には、タレの配合や調理方法を改良した。この改良に携わった李玉霞さんは今月10日、展示会の開幕式に出席した。会場には、駅弁の開発秘話を語った映像や駅弁売りの声が流れている。
展示会は、台湾文化センターと国家鉄道博物館準備処の共催。来年2月から、鉄道博物館(さいたま市)で開催される台湾と日本の鉄道に関する企画の先行展として開かれた。
準備処の鄭銘彰主任は開幕式で「『弁当』は台日文化の共通言語。駅弁は台湾人の味覚の記憶と鉄道の物語であり、台湾ならではの文化的な価値を表している」と話した。
11月8日まで。土日祝日は原則休館。入場無料。問い合わせは同センター(03・6206・6180)。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。