水面に立つ孵化したばかりの蚊。蚊はこのような水のある場所で育ち、多くの病気を媒介し、毎年70万人近い死者を出している。この蚊を根絶できたとしたら、人類には利益となるのだろうか?(Photograph By Ingo Arndt/Nature Picture Library)

米国では今、蚊が大きな話題になっている。8月下旬、米国東部で東部ウマ脳炎ウイルスの人への感染が確認され、米マサチューセッツ州オックスフォード一帯に、夜間の外出を控える勧告が出された。米国立アレルギー感染症研究所の元所長であるアンソニー・ファウチ氏も、ウエストナイルウイルスに感染して入院してニュースになった。いずれも蚊が媒介する致死的な感染症の病原体だ。

蚊が媒介する病気が話題になると、決まって注目されることがある。魔法のように蚊を消し去ることができるとしたら、いったいどうなるのだろう? 生態系や私たちにはどんな影響が生じるのだろうか?

蚊は食物連鎖のどこにいるのか

当然のことだが、蚊がいなくなった世界がどのようになるのかは、誰にもわからない。

「蚊を完全に駆除すれば、予測できないようなことが起きるかもしれません」。米国魚類野生生物局の広報担当者、アン・フロシャウアー氏はそう話す。

問題は、地球上に約3500種もいる蚊が食物連鎖のどの位置を占めているのか、よくわかっていないことだ。

ライオンやヒョウなど、大型哺乳類の食物連鎖については、さまざまな研究がある。水たまりで繁殖する小さな蚊よりも、はるかに観察しやすいことを考えれば、当然のことだろう。

わかっているのは、成長の段階やオスかメスかを問わず、蚊はあらゆる種類の動物の食料になっていることだ。たとえば、魚、カメ、トンボ、渡り鳥、コウモリなどが蚊を食べている。

また、ほとんどの蚊のオスは、花の蜜しか吸わない。そのため、一部の種は作物や花の花粉の主な媒介者となっている。ランの花もその一つだ。

蚊の天敵は

蚊の一番の天敵と言えるのは、コウモリかもしれない。そう考えると、蚊がいなくなって一番影響を受けるのも、コウモリということになるだろうか。

米カリフォルニア大学サンタクルーズ校でコウモリについて研究しているウィニフレッド・フリック氏は、そうではないと言う。

ほとんどのコウモリは、蚊や甲虫など、捕まえられるものは何でも食べるジェネラリスト捕食者だ。

「蚊しか食べないコウモリはいません」とフリック氏は言う。

実は、蚊の中には昼間しか活動しない種もいる。コウモリがそういった蚊を食べるチャンスはほとんどない。

逆に、たとえば蚊を根絶するためにDDTのような殺虫剤を使うなら、獲物の減少よりもはるかに深刻な打撃をもたらす可能性がある。

「殺虫剤を広く散布すれば、コウモリだけでなく、その他の野生動物にも甚大な被害が出ることになります。私が心配しているのは、その点です」

カリフォルニア大学サンタクルーズ校の疾病生態学者であるマーム・キルパトリック氏は、生態系からある動物を完全に取り除けば、間違いなく何かが変わると言う。

だが、それは普通の人が気づくほどの影響なのだろうか?

「確実なことは言えませんが、私の直観では『ノー』でしょう」とキルパトリック氏は言う。

実際に蚊を根絶できるのか

しかし、蚊を根絶できれば、世界の健康状態は大きく改善するはずだ。

WHOのデータによると、蚊は毎年70万人近い死者をもたらしている。

マラリアを媒介するのは主に蚊なので、蚊が消えればマラリアも消える。世界保健機関によると、2022年のマラリアによる死者は約60万8000人にのぼる。

さらに、毎年2万1000人の死者を出しているデング熱も、3万人の死者を出している黄熱病も、蚊が媒介する。

ただし、蚊を根絶しなくても、この数字を下げることはできるだろう。近年では、蚊による感染症を防ぐ有望な研究も進んでおり、蚊を寄生バクテリアに感染させる、放射線で滅菌する、CRISPR技術で遺伝子を編集するといった画期的な方法が生み出されている。

忘れてはならないのは、すべての蚊が人間に被害をもたらすわけではない点だ。実際、人間には見向きもしない蚊も多い。

「湿地にすみ、カエルなどの両生類の血しか吸わない蚊もいます」と、米ペンシルベニア州農務省の昆虫学者であるマイケル・ハッチンソン氏は言う。「湿地でたくさんの蚊に囲まれて座っていても、まったく刺されることはありません。人には興味がないのですから」

メスが血を吸わない蚊もいる。また、オオカの仲間(Toxorhynchites属)のように、水中で暮らす幼虫の段階でほかの蚊を捕食するものもいる。

「これはペンシルベニア州で一番大きな蚊ですが、刺すことはありません」

結局のところ、蚊を根絶できるかどうかはわからない。おそらく難しいだろう。いずれにしても、著名な生物学者だったE・O・ウィルソンが「世界を動かす小さなもの」と呼んだ蚊については、まだよくわかっていないということだ。

文=Jason Bittel/訳=鈴木和博(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年9月8日公開)

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