異次元の少子化対策として政府がまとめた「こども未来戦略」に盛り込まれたのが、2026年度をめどに導入予定の「出産費用の保険適用」だ。栃木県小山市で産婦人科医院を営む佐山雅昭・県産婦人科医会元会長(60)は「地域差のある出産費用が全国一律になると、過半数の産科医療機関は経営が困難になる」と指摘。「分娩(ぶんべん)の取り扱いをやめる医療機関が増え、身近なところで出産ができなくなる。お産難民が出かねない」と危機感を募らせる。県内を中心とした産科医療の現状と国の施策の課題について聞いた。【有田浩子】
--県内のお産の現状を教えてください。
◆私が開院した01年には県内の出生数は約1万9000人でしたが、昨年は1万人を割りました。お産のできる施設数も減っていますが、今のところ県内の各医療圏ではおおむね充足しています。
県内では全出産の66%が診療所(クリニック)、22%が地域の中核病院、11%が大学病院で行われており、妊産婦の有するリスクに応じて、適切に分担しています。緊急時の連携も確実に行われており、安心・安全な周産期医療を県民に提供しています。
--産科医療はこの20年で、どのように変わりましたか。
◆ガイドラインが整備され、診療が高いレベルで標準化されました。妊婦健診は、母児双方の異常を早期に発見するため詳細な内容となっています。高性能の超音波検査機器が導入され、胎児の状態を常にモニタリングする監視装置を用いるなど、安心・安全な分娩をサポートする医療機器が増えました。また、妊産婦のメンタルヘルスケアにも注力しています。
妊産婦は安心・安全とともに快適さを求めています。入院は個室にし、夫や家族が付き添えます。食事もいわゆる病院食とは異なり、楽しみにしていただけるメニューにしています。出産という命がけの大仕事の心身を癒やす入院生活となるように心がけています。
--少子化対策として政府は昨年、出産育児一時金を42万円から50万円にアップしました。同時に「出産費用の見える化」も実施することになりました。
◆出産育児一時金の増額により、出産に係る妊産婦の経済的負担が減ることは適切なことと考えます。さらなる増額を望みます。
厚生労働省の「出産費用の見える化」の施策の目的は、妊婦が出産する医療機関を選択する際の環境を整備することでした。そこで日本産婦人科医会は、出産費用のみならず、各施設の特徴、サービス内容など、出産する方が真に求めている情報に即した「見える化」を提案しました。
今年5月、厚労省ホームページに分娩を取り扱う施設についての情報提供を行うウェブサイト「出産なび」が開設されました。エリアや条件を指定して検索し、該当する施設の情報を確認することが可能です。
--出産費用の「保険適用」についても検討が始まりました。
◆保険適用とは、医療行為の診療報酬を国が決め、全国一律の額にすることです。お産は病気ではないので保険診療には適さないという国の考え方により、正常分娩は自費診療で行われてきました。その代わり、出産に対しては同じ医療保険財源から「現金給付」として出産育児一時金が妊産婦に支給されています。
出産費用は都道府県で平均額が異なり、施設によっても差があります。厚労省は出産育児一時金を廃止して保険適用にし、分娩の診療報酬を現在の出産育児一時金と同じ50万円で自己負担をゼロにする、という新聞報道があります。この額で出産の総費用が賄える医療機関は全国で8県のみで、栃木県を含む39都道府県はカバーできません。一方、診療報酬が出産育児一時金と同額であれば、妊産婦の経済的負担は今と変わりません。
--費用が賄えないとどうなりますか。
◆減収となり経営が成り立たず、分娩取り扱いをやめる施設や閉院する施設が生じます。その結果、重症妊産婦の診療を担う周産期医療センターに妊産婦が押し寄せ、安心安全の周産期医療体制が崩壊する恐れがあります。また、地域に産科医療機関がなくなり妊婦健診や産科医療を地元で受けられなくなれば、若い人たちはその地域から転出し、ますます地域の少子高齢化が進みます。これでは少子化対策になりません。出産費用の保険適用化は、産科医療と地域社会に、取り返しのつかない重大な事態を招くと危惧しています。
聞いて一言
出産育児一時金を50万円にアップしたのは、少子化対策として妊産婦の負担を軽減するためだと理解できた。だが、なぜ国が次の段階として保険適用を目指すのか。誰にどんなメリットがあるのかがわからなかった。
現金で50万円給付していたものを、保険給付に変更することによる副作用の大きさに驚いた。議論の行方を今後も注視していかなければと思った。
佐山雅昭(さやま・まさあき)さん
1964年栃木市生まれ。88年信州大学医学部卒業。同年自治医科大学産科婦人科入局。94年大学院修了(医学博士)。98年同大学講師。2001年「樹レディスクリニック」開院。09年栃木県産婦人科医会会長。16年日本産婦人科医会理事。
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