『<序文>の戦略』松尾大著(講談社選書メチエ・2200円)
本を開いて最初に目にするのは「序文」である。人によっては「あとがき」をまず読むという搦手(からめて)から攻めるやり方もあるが、通常はそうである。その本に何が書かれているのか全体を俯瞰(ふかん)できるからである。
しかし「序文」には実は作者によって様々な仕掛けが施されている。読者が気づかないような武器が仕込まれている。本文の理解を左右する鍵が隠されていることもある。
本書はこの「序文」という不思議な魅力がひそんでいる文章ジャンルの秘密を、古今の文学作品を俎上(そじょう)にのせて徹底して解明している。サブタイトルに「文学作品をめぐる攻防」とあるように、「序文」とは自作をめぐる言葉の闘いの生々しい戦場なのである。
そこで用いられるのはレトリック、修辞学である。古代ギリシアで誕生した弁論の技術としての伝統的なレトリックは、法廷や議会、儀式での口頭のやり取りだけでなく、書き言葉にも広がり、やがて文学作品の「序文」にまで影響を与える。つまり元来が法廷をモデルにしていることから、本文に対する(予想される)多様な読み手からの批判や異議、非難や攻撃への防御の役割、弁明の機能を持つに至るのである。「序文なしで出版される本は、法廷助言者なしで出廷する人のようなものである」という言葉が引かれているが、こうなると「序文」というものが文字通り歴史的なジャンルとして俄然(がぜん)、探求の対象としての存在感を増す。
しかも修辞学者である著者の探求は執拗(しつよう)をきわめる。第Ⅰ部では、防御戦略として記述される「序文」の様々な理論が西洋文学、とくにイギリスの詩人や作家たちの具体例(太宰治の小説の「序」などもある)から明らかにされる。第Ⅱ部では、攻撃する読者の側の訴因が挙げられ(猥褻(わいせつ)や剽窃(ひょうせつ)など)、「序文」がそれといかに闘ってきたかが詳細に説かれている。我が子を庇(かば)うように、本文を守ろうとするその力業はいとしい。
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