長崎の爆心地から12キロ以内で原爆に遭いながら国の援護区域の外にいたとして被爆者と認められない「被爆体験者」の救済を巡り、厚生労働省は、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に所蔵されている被爆者の体験記3744件を調査した結果、雨に関する記述が41件、灰などの飛散物の記述が159件あったと発表した。厚労省は専門家の評価を踏まえ、「降雨などを客観的事実として捉えることはできなかった」と結論付けた。
被爆体験者は「原爆投下後に降った灰や雨などに含まれた放射性微粒子を体内に取り込み、健康被害を受けた可能性が否定できない」と訴え、被爆者健康手帳の交付を求めている。
広島での原爆投下後の降雨を巡っては、訴訟での原告勝訴確定を受け、国が2022年4月から、従来の援護区域の外で「黒い雨」に遭った人に被爆者手帳の交付を始めた。一方、長崎について、国は「降雨があった客観的な記録がない」として救済を認めず、長崎県と長崎市は祈念館所蔵の体験記などの調査を厚労省に要望していた。
厚労省は23年7月に調査を開始。同館所蔵の被爆者の体験記約13万件のうち、1945年8月9日の原爆投下時、旧長崎市(被爆地域)以外の場所にいた人の体験記3744件を抽出。そのうち雨に関する記述は41件あった。当時の市町村別では同県諫早市についての記述が17件で、最も多かった。当時の諫早市は、国が現在「被爆体験者」の地域としている爆心地から12キロ圏の外にある。
灰など飛散物も159件
灰やすすなどの飛散物の記述は159件あり、最多は諫早市の60件。爆心地から30キロ以上離れた島原半島の加津佐町(現南島原市)や島原市でも各1件あった。
厚労省が記述について、統計学や放射線疫学などの専門家に評価を求めたところ、「体験記は執筆者がそれぞれの思いを記述したもので、降雨などを明らかにするためのデータとしては信頼性に乏しい」「被爆からかなり年数が経過しているものが多く、執筆までに記憶の修飾がなされている可能性がある」などの意見があった。同省は「降雨などを客観的事実として捉えることはできなかった」と結論付けた。
長崎県原爆被爆者援護課の担当者は「被爆体験者の救済につながれば、と期待していたので残念だ」、長崎市調査課の担当者も「非常に残念。引き続き何らかの結果につながるような調査を求めていきたい」とした。
被爆体験者「政治的意図感じる」
「結論は納得できない」。被爆体験者44人が長崎市と長崎県に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で原告団長を務める岩永千代子さん(88)=長崎市=は、体験記の記述に対する厚生労働省側の見解に憤った。
報告によると、今回調査に参加した専門家は被爆体験記を「降雨などを明らかにするためのデータとして信頼性に乏しい」とした。
これに対し、岩永さんは「被爆者が懸命に残した体験記にそんな評価をすべきではない」と批判。「今回見つかった雨や灰などの記述は、原爆投下後に放射性物質が降り、私たちが健康被害を受けた可能性を否定できないことを示している。厚労省の結論は『放射性降下物による被害を小さく見せたい』という政治的な意図を感じる」と語った。
また、同訴訟の原告で、4歳の時に爆心地から約8キロ東の長崎県旧日見村で原爆に遭った松尾栄千子(えちこ)さん(83)=同=は、空から灰や燃えかすが降り注いだ自身の体験を振り返り、「体験記に記述があっても認めないというなら、何を出せば国は客観的な証拠と認めるのか」と疑問を投げかけた。乳がんや皮膚がんの手術を何度も受けており「原爆の影響を受けたと思っている。早く被爆者と認めてほしい」と訴えた。
体験記調査の必要性を提言してきた大矢正人・長崎総合科学大名誉教授(物理学)は「降雨の有無を聞かれたわけではないのに、被爆者が体験記に雨や灰をあえて記したのは、それだけ記憶が鮮明に残っていたということであり、実際に降ったと考えるのが自然だ。爆心地から離れた諫早市や島原市でも記述があったことは重要で、国はより詳細に調べるべきだ」と指摘した。【樋口岳大】
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