「玉虫型飛行器」の再現模型に見入る外国人観光客=千葉県芝山町で2024年6月12日午前10時49分、合田月美撮影

 「日本の航空機の父」と言われる二宮忠八(1866~1936年)の企画展が、千葉県芝山町の航空科学博物館で行われている。空を飛ぶカラスを観察し、米国でライト兄弟が有人飛行に成功する12年前に模型飛行機で人類初の動力飛行を成し遂げた二宮の生涯と功績を、模型やパネルで分かりやすく紹介している。

 愛媛県八幡浜市出身の二宮は、学業優秀ながら家庭の事情で小学校しか出られなかった。陸軍の看護兵だった1889年、演習で訪れた山でカラスが羽を動かさずに滑空する姿を見て飛行の原理を発見、「飛行器」を考案。ほかの鳥や昆虫の観察の一方、傘を広げて橋から飛び降りる実験を繰り返し、ゴム動力でプロペラを回す飛行機「烏(からす)型飛行器」(全長約35センチ、全幅45センチ)を製作。空を飛ぶものといえば気球しかなかった91年当時、約30メートルの飛行に成功した。

 93年には硬い羽で揚力を生み出し、その下の柔らかい羽で方向転換するタマムシの飛行構造をヒントに有人機「玉虫型飛行器」の模型を完成させた。その翌年、日清戦争が勃発。二宮は陸軍に有人飛行器の重要性を説き、繰り返し開発援助を求める上申書を提出したが、全て却下。軍を去り、新薬開発で資金を作りながら実機の製作を目指した。やがて全長4・7メートル、全幅9メートルの機体がほぼ完成する。ライト兄弟による「人類初の有人動力飛行」のニュースが飛び込んできたのはそんな時だった。二宮は失意のまま開発を打ち切った。

 会場には、二宮が描いた図案や玉虫型飛行器の実物大の再現模型、さまざまな昆虫の標本などを展示している。後になって飛行機の導入が進むと、二宮の元には陸軍幹部から「世紀の大発明を台無しにして日本の航空界の発展を遅らせた」などとする手紙が届いたこと、晩年は京都府八幡市の自宅敷地に航空事故の犠牲者を慰霊する「飛行神社」を建立し、空の安全を祈り続けたことも紹介している。

 同館学芸課長の今野友和さんは「偉業はライト兄弟に先を越されたとはいえ、素晴らしい着眼点を持ち、夢に向かって努力を続けた偉人のことを知ってほしい」と話す。

 8月31日まで。入館料(大人700円)で見学できる。【合田月美】

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