熊本県益城町で、町営入浴施設「町民憩(いこい)の家」の廃止案を町が示したことに対して、町民の間で波紋が広がっている。少子高齢化や人口減といった地方共通の悩みを受けた公共施設見直しの一環だが、熊本地震で大きな被害を受けたことで知られる同町では、被災直後に断水が続く中、町民はここで入浴することでひとときの安らぎを得ていた。
かさばる維持・更新費
「熊本地震の被災直後は、顔合わせたなじみのメンバーで野菜を分け合ったり、『元気に頑張ろうね』と声を掛け合ったり、まさに“いこいの湯”になっていた」と、町在住の利用者の一人、城本真澄さん(75)は施設の意義を訴える。
5月中旬、町内であった憩の家の在り方に関する説明会では町民約20人から「採算ベースで考えないでほしい。一人でも喜ぶ人がいれば続けるのが福祉ではないのか」などと意見が出された。
憩の家は1991年開設。大浴場やサウナといった入浴施設のほか、大広間や多目的室なども備える。老朽化で大規模改修が必要になることも見込み、2012年度から今後の在り方の検討がされてきた。15年には指定管理委託で費用削減を図ったが、近年は燃料費高騰などで厳しい状況が続いている。町が22年3月に策定した「公共施設等総合管理計画」によると、憩の家を含む設立から30年が経過した町内の公共施設は58年度までの40年間で毎年平均23・7億円の維持・更新費がかかると試算された。
憩の家の年間の延べ利用者数は19年が約6万1000人。コロナ禍を経て22年は約3万9000人に減少した。町が実施したアンケートでは、7割が「利用経験がない」と回答。町は「利用者が限定的になっている」などとして24年3月、町民の利用頻度や維持費、施設改修にかかる費用も踏まえ「憩の家のあり方に関する基本計画」で初めて廃止案を提示した。
しかし、これに対して町民からは「あまりに唐突」と反発する動きがある。16年4月の熊本地震。町内で断水が続く中、多くの町民が憩の家のおかげで風呂に入って被災の疲れ、苦しみを癒やすことができた。町民にはその当時の記憶はいまだに鮮明だ。
高まる入浴施設の公的な役割
この問題を3月議会の一般質問でも取り上げた宮崎金次町議は「熊本地震の際には被災者が利用し、公共施設として役立ってきた」と強調。町の見解をただし、西村博則町長は「老朽化した施設への対応はしっかり考え、丁寧な説明をしながら決定していきたい」と述べた。
災害時の入浴支援の観点から、公的な入浴施設の役割は、近年高まっている。益城町と隣接する熊本市内。断水が続いた熊本地震の直後、公衆浴場で長蛇の列ができた経験を受け、新たに民間の入浴施設がオープンするなど、動きがあった。今年1月に発生した能登半島地震でも断水が長期化し、入浴支援が大きな課題となった。
災害復興のまちづくりに詳しい関西学院大の山泰幸教授は「災害復興では道路や新たな施設などハード整備が優先されるが、住民同士のつながりなどソフト面の維持も重要になる」と言及する。「益城町の銭湯が意味するものは、生活の重要な基盤である住民同士のつながりの場、コミュニティーの場であり『地域の復興』を象徴するものだ」と指摘した。
存続を求めて住民らは署名を集める。署名数は、7月時点で4000筆を超えたという。こうした動きに対し、町福祉課の担当者は「あくまで『廃止案』の段階であり、町民には丁寧な説明をしながら今年度中に在り方の検討を進めていきたい」とする。山教授は「前提としてまずはどう維持するかを考えるべきで、住民と行政が対立するのではなく、大学や支援団体など第三者が関わりながら住民との話し合いの場を設け、緩やかに進めることが大事だ」と提言する。【山口桂子】
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