1985年に日航ジャンボ機が御巣鷹(おすたか)の尾根(群馬県上野村)に墜落した事故を受け、日本航空は東京都大田区に安全啓発センターを開設している。墜落した機体の一部や乗客らの遺品など、事故の痛ましさがそこにあるという。今年5月に前橋支局に赴任した記者は、初めて事故を取材するにあたり、センターを訪ねた。【加藤栄】
5月下旬、なかなか予約が取れなかったセンターの見学がかなった。東京モノレールの最寄り駅「新整備場」に降りると、羽田空港を発着する飛行機のエンジン音が耳につく。受付で予約したことを伝え、スタッフとともにビルの中を進むと、センターはその一角にあった。
「本日案内を担当させていただきます」。約20人の参加者を前に、パイロットの訓練生という男性社員が声を張る。はじめに、事故概要について当時の新聞記事や動画を使って説明を受けた。
一同で奥に進むと、墜落した機体の一部が目に入る。機体が紙のように破れたり曲がったりしていて、すき間には墜落時に挟まったであろう樹木がある。機体が墜落した瞬間を想像して、周りも含め表情が曇る。
機体や解説パネルを見ながら、事故原因や墜落までの航路の説明を受けた。事故調査委員会の報告をベースにした説明で、社員が「日本航空は加害企業であるということを、社員一人一人が認識している」と言い切った姿勢には誠意を感じた。
さらに奥に進むと、ひしゃげた座席と亡くなった人たちの遺書があった。遺書には揺れた文字で恐怖が書かれていたり、「今までは幸せな人生だった」と最後のメッセージが残っていたりする。その時の気持ちを考えると、涙がこみ上げた。
ただ、社員が「皆さま同じようなことを書かれております」と話したときに違和感を持った。生存者4人を含め、乗客乗員524人にはそれぞれの恐怖やつらさがあったはずだ。それをひとまとめに説明してしまうのは違うのではないだろうか。
一方で、私の中にもどこか「悲惨な事故」と捉えるだけで、個々の体験や思いを十分に想像する力が足りない点があったのではないかとも感じた。
この墜落事故を「悲惨な事故」として一緒くたに報じてしまうのではなく、亡くなった人たちの物語を丁寧に取材し、それぞれの関係者が抱く空の安全への思いに耳を傾けていきたいと気持ちを新たにした。
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