清水建設が整備した複合施設「温故創新の森 NOVARE」に移築された旧渋沢邸前で、笑顔を見せるシンポジウムの登壇者ら=東京都江東区で

 新1万円札の肖像になった渋沢栄一の言行録「論語と算盤(そろばん)」をキーワードにしたシンポジウムが1日、旧渋沢邸を敷地内に移築した「温故創新の森 NOVARE」(東京都江東区)で開催された。主催したのは、公益財団法人渋沢栄一記念財団と、かつて渋沢が経営に関わった毎日新聞社。同書を「バイブル」としていることで知られ、2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表を優勝に導いた栗山英樹前監督や、渋沢ゆかりの企業のトップらを招いた。シンポジウムのタイトルは「渋沢栄一『論語と算盤』の聖地で原点を学ぶ~100年先にも残したい、その教えの神髄とは~」。【文・沢田石洋史、清水勝 写真・松田嘉徳】

栗山英樹さん

強いチーム作り、原点の書 野球日本代表前監督・栗山英樹さん

 2部構成で行われたシンポジウムの第1部は、栗山さんと井上潤・渋沢史料館顧問によるトークショー。渋沢研究の第一人者として知られる井上さんはまず、渋沢の生い立ちと論語とのつながりについて語った。

 明治政府の官僚だった渋沢が実業家に転身する際、約2500年前に生きた古代中国の思想家、孔子の教えをまとめた論語に着目した。渋沢は父親の教育方針で幼少時から中国の古典を学び、父親は幼い渋沢を叱責する際、論語の一節をよく引用していたという。「会社の運営が失敗しないよう、組織を整え、集めた人材の規範になるものが必要だった。論語には、朝聞けば夕方に役立つようなさまざまな教訓が書かれており、これを基準にすれば、分かりやすく伝わるだろうと考えた」と井上さん。

 続いて、栗山さんは「論語と算盤」との出合いを振り返った。現役引退後、多くの経営者が座右の書に挙げていることを知り、論語(道徳)と算盤(経済活動、利益)の関係を野球に応用できるかもしれないと思ったという。

 「プロ野球の選手はチームが最下位でも、自分の成績さえ良ければ給料は上がる」と栗山さん。だが、それではチームは強くなることができない。この本を読み込めば「チームのために頑張り、人のために尽くすことが、お金や自分の成長につながるという説明がつくのではないか、と」。そして読むたびに新しい発見があり、渋沢の存在が今日のように浸透していない十数年前から、選手たちにこの本を配るようになった。その一人に、米大リーグ・ドジャースで活躍する大谷翔平選手も含まれている。

 日本ハムの監督時代、栗山さんは大谷選手の「二刀流」育成プランを進めたが、「渋沢の知恵をお借りした」とも語った。「新しい事業を興そうとした渋沢に対し、常識にとらわれている人は全員反対した。一方、渋沢の行動は『感覚的』なものではなく、(道理に従えば)『物事はこうなる』と説く。つまり、機が熟すことが重要で、その時にみんなに“見えていない光景”なんだ、と」。だから、「4番のバッティング」と「エースのピッチング」のどちらかをやめさせる選択肢はなかったという。

 日ハム時代の大谷選手は入団5年後の大リーグ入りを望んだが、「5年」で移籍すると実力に見合った契約金を獲得できない。そんな大谷選手の「希望」を栗山さんが後押しした背景にも「論語と算盤」があった。結果を出す過程での努力や準備が大事だと書かれている部分を引き合いにこう続けた。

 「『なぜ5年か俺を説得してくれ』と聞くと、本人は『お金は全然関係ない。僕はただ、自分よりすごい選手たちをやっつけたい。成功も失敗も関係ない。野球をやらせてください』と。ストンと落ちました。『これは渋沢栄一だ!』と」

 渋沢の教えそのものを大谷選手が実践している――。栗山さんがそんな「解釈」を示すと、対談相手の井上さんは大きくうなずいた。

井上潤さん

信頼土台 大谷、村上育て 渋沢史料館顧問・井上潤さん

 トークショーが野球談議で盛り上がる中、栗山さんが「このまま、野球の話をしても大丈夫?」とモデレーターの住吉美紀さんにやや不安げに尋ねる場面も。住吉さんは「大丈夫です。皆さん、自分の仕事や人生に置き換えて聞いています」と、さらなるエピソードの披露を促した。

 話題がWBCでの優勝に及んだ時のこと。栗山さんは渋沢が「ジャパン」の監督だったらどうするかというイメージを持っていたという。「僕は何もしていない。選手が頑張って勝っただけ。僕は、選手が思いっきりプレーできる環境をつくろうと思った。選手たちに一つだけ言ったのは『歴史っていうのは勝者の歴史なんだ』と。結果を残さなければ次の世代に伝わらないこともある。だから、歴史に残すために勝たなければダメなんだ、と」

 これに対し、井上さんは渋沢と栗山さんの共通点に言及して「選手を信用し、信頼関係の中で起用している。まさに、渋沢流の人の育て方だ」と述べた。そして、不振にあえいでいた村上宗隆選手が準決勝で逆転サヨナラ打を放った場面を振り返り「私は涙を流して感激した。村上選手はこの後の野球人生で大きく花を開かせるだろうな、と。栗山さんはその土壌をしっかりつくった。監督と選手たちの間で双方向の理解が深まり、優勝に導かれたと私は感じている」。

 翻って渋沢について、井上さんは「日本の近代化を築いただけあって、未来志向の人。目標に向かって突き進むが、やみくもではない。時機を見定めながら、入手した情報を分析し、そしゃくして判断していく。そして、事業推進には絶大なる忍耐力が必要だと言っている。やはり、渋沢が栗山さんの決断を見守るような形でバックアップしているように思う」と語った。

 井上さんは現在、「論語と算盤」の英訳本の刊行準備を進めているという。これまで中国語・韓国語で出版されてきたが、ここ数年、海外の研究者やビジネスマンから要望が寄せられ、「世界中のありとあらゆる人に、渋沢の考えが伝われば」との思いからだ。

 一方、1万円札の肖像になったことをきっかけに「渋沢の教えが今の時代に話題になるのはすごく意味がある」と話す栗山さん。「(渋沢のような)誇りにできる先輩が日本にはたくさんいる。幸せだなって思う」と話し、締めくくった。

栗山英樹(くりやま・ひでき)さん

 1984年ヤクルトスワローズ入団。2012年北海道日本ハムファイターズ監督に就任、リーグ優勝2回、日本一に1回。23年のWBCで日本代表監督として優勝。24年1月から日ハムのチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)。

井上潤(いのうえ・じゅん)さん

 1984年公益財団法人渋沢栄一記念財団が運営する渋沢史料館の学芸員となり、2004年に館長就任。現在は同史料館顧問、同財団業務執行理事。著書に「渋沢栄一伝―道理に欠けず、正義に外れず」(ミネルヴァ書房)など。

住吉美紀さん

モデレーター 住吉美紀(すみよし・みき)さん

 フリーアナウンサー、文筆家。NHKで「紅白歌合戦」「プロフェッショナル仕事の流儀」の司会などを務め、フリーに。2012年からTOKYOFM朝の生ワイド番組「Blue Ocean」(月~金)のパーソナリティー。

パネルディスカッション 経済の役割、現代に問う

 第2部は、渋沢ゆかりの清水建設▽渋沢倉庫▽東京海上日動火災保険▽東京ガス▽みずほフィナンシャルグループ(FG)――の5社に加え、渋沢の教えに共鳴するベンチャー2社(アニマルスピリッツ、ユーグレナ)のトップらがパネルディスカッションを行った。コメンテーターを務めたのは、栗山氏と作家の守屋淳氏の2人。「現代語訳 論語と算盤」の訳者として知られる守屋氏は「渋沢栄一は、経世済民に由来する『経済』を体現している人。経済が社会を豊かにし、人を幸せにしているか。お札になったタイミングで問われている」と話し、渋沢の精神を受け継ぐ各社の取り組みを評価した。

清水建設の大西正修副社長

顧客第一と合致 清水建設・大西正修副社長

 2019年に発表した長期ビジョンで、「論語と算盤」を社是と定めた。創業時から大切にしてきた顧客第一主義と、道徳と経済の合一を旨とする渋沢の教えが合致しているからだ。

 1887年から約30年間、相談役を務めた渋沢の訓示などをまとめた小冊子「シミズマインド『論語と算盤』編」を2年前に作成して全従業員に配り、全社で研修を実施した。「論語と算盤」実践講話として、役員が持ち回りで発表する場も設けた。

 長期ビジョンでは建設事業の枠を超え、多様なパートナーとの共創を通じ、時代を先取りする価値を提供するスマートイノベーションカンパニーを掲げた。その拠点が「温故創新の森 NOVARE」。

 旧渋沢邸は当社の二代喜助が東京・深川で手がけた現存する唯一の建物だ。青森県で保存されていたが、19年から4年半で移築した。渋沢と喜助のイノベーター2人のマインドを心に留め、モノ作りの原点を忘れないという強い気持ちを込め、旧渋沢邸をこの施設群の中央に配置した。私たちの原点と歴史をしっかり胸に抱き、未来を切り開いていきたい。

渋沢倉庫の大隅毅社長

正しい道理、追求 渋沢倉庫・大隅毅社長

 「商工業の健全な発展には倉庫業が不可欠」という考えのもと、自身の姓をつけた唯一の会社として1897年、渋沢が東京・深川の私邸(旧渋沢邸)にあった蔵を使って家業として始めた。

 経営の根底には「正しい道理で追求した利益だけが永続し、社会を豊かにできる」という「論語と算盤」の精神がある。お客様が我々に価値を感じているか、我々の企業活動で環境破壊が起きていないかを自ら問いかけ、長期的視点で問題解決にあたりたい。

 コーポレートスローガン「永続する使命。」には二つの意味を込めた。正しい道理の利益を追求し永続させていくこと、「渋沢」という名を冠した企業として創業者の精神を体現していくことだ。物流を超えた新たな価値創造により、持続可能で豊かな社会の実現に貢献していく。

 渋沢は「細心にして大胆であれ」とも言っている。企業や社会が成熟するとだんだん挑戦しなくなり、守りに入ることを憂えた言葉だ。今年で創業127年。歴史が古く、伝統があることに決して安心することなく、50年、100年先を見据え、時代に合わせて変わっていく企業を目指す。

東京海上日動の広瀬伸一会長

次の一歩の力に 東京海上日動・広瀬伸一会長

 渋沢の強いリーダーシップのもと、1879年に日本初の保険会社として誕生した。日本が近代化を目指す上で、海外貿易が非常に重要ということで海上保険からスタートし、1914年には交通事故に対応するため、日本初の自動車保険を販売した。

 その後もサイバーリスクや温暖化など多様な社会課題の解決に対応した保険商品を開発することで成長してきた。当社が事業活動を行えば行うほど、社会が良くなることにつながるとの思いからだ。

 渋沢は経済発展だけでなく教育振興など公益事業にも功績を残した。当社も次の世代に明るい未来を引き継ぐことが責務と考え、約25年前から気候変動や生物多様性の取り組みとして、アジアでマングローブの植林を続けている。

 グループブランドメッセージとして「次の一歩の力になる。」を掲げた。お客様と社会のために力を尽くし、社会課題の解決に貢献し、今よりも良い明日を作ることが創業以来の存在意義だ。設立から約30年にわたり相談役・取締役を務めた渋沢スピリッツに立ち返り、サステナブル(持続可能)な社会づくりに寄与しながら成長していきたい。

東京ガスの笹山晋一社長CEO

脱炭素化、徹底を 東京ガス・笹山晋一社長CEO

 当社は今、第三の創業期を迎えている。第一の創業はパリ万博に行った渋沢がガス灯の必要性を感じ、東京瓦斯会社として設立した1885年。ガスかまど、ガス自動炊飯器と使用用途を広げ、M&Aで事業エリアを拡大した。

 第二の創業は、世界に先駆けて液化天然ガス(LNG)を導入した1969年。石炭と石油による公害問題に対処して東京に青い空を取り戻そうと、クリーンな天然ガスに着目した。膨大な投資が必要で大変なチャレンジだったが、電力事業にも拡大し、グローバルな総合エネルギー企業に生まれ変わった。

 第三の創業では地球環境に貢献するため、ガス・電力の脱炭素化に取り組んでいる。業界で初めて「カーボンニュートラル宣言」を出し、温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロにすることを約束した。政府が公表する前年の19年のことだ。

 当社には公益性と経済性を両立させる「論語と算盤」の精神が引き継がれている。時代の変化に応じた開拓の姿勢を貫き、経営理念である「人によりそい、社会をささえ、未来をつむぐエネルギーになる。」を体現していきたい。

みずほFGの秋田夏実執行役

豊かな未来、実現 みずほFG・秋田夏実執行役

 みずほの源流は1873年に、日本初の銀行として渋沢が設立した第一国立銀行。2年後には頭取に就き、43年にわたり経営に携わった。開業150周年を昨年迎えたが、公平で公正な社会の発展に寄与し、永続的な企業づくりを願う「論語と算盤」の精神は今に受け継がれている。

 昨年にはパーパス(存在意義)「ともに挑む。ともに実る。」を新たに制定した。公益と私益の融合を追求した渋沢の思想に通じる理念で、自分ごととして考えてもらえるよう社長と全国を回っている。一昨年から若手社員が役員のメンターを務める「リバースメンター」を採用し、今年も役員20人以上に対し、若手約100人が手を挙げた。

 渋沢の肖像が新1万円札の顔になるのを記念し、6月下旬に第一国立銀行の本店跡地に建つみずほ銀行兜町支店を藍色で染め上げた。渋沢の生地・埼玉県深谷市では昨年から田植えに取り組み、収穫した1・6トンの米は地元の子ども食堂に寄付するなどした。

 これからも日本で最初の銀行との誇りを胸に、お客様や社会とともに豊かな未来の実現に向け、先見性を持って社会的責任を果たしたい。

アニマルスピリッツの朝倉祐介代表パートナー

社会変革、次世代へ アニマルスピリッツ・朝倉祐介代表パートナー

 ベンチャーキャピタルの会社を運営し、新しい良い技術やアイデアを持つスタートアップに株式発行と引き換えに資金を提供している。同時に経営面でもアドバイスをして成長に貢献する活動を行っている。経営理念は「未来世代のための社会変革」。子どもや孫の世代に、より良い社会を引き継いでいきたい。その原動力が、スタートアップだと思っている。

 具体的な支援領域は、超高齢社会の課題克服に向けた「国を守る」▽脱炭素循環型経済の実現を図る「地球を保つ」▽宇宙開発などの「フロンティアを拓(ひら)く」。あと20年ほどかけて、渋沢栄一が携わった約500社の設立にキャッチアップできればと思っている。

ユーグレナの出雲充社長

挑戦する若者支え ユーグレナ・出雲充社長

 貧しい人のための銀行を作り、2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス博士が私の師匠。大学1年の夏休みに同国を訪れ、この銀行でアルバイトした。道徳と経済を両立させる考え方が渋沢栄一と共通しており、博士は渋沢の生まれ変わりだと思っている。

 2人の教えを受け継ぎ、持続可能な社会づくりに貢献するため、大学発ベンチャーを立ち上げた。(藻類の)ミドリムシから栄養豊富なサプリメントやバイオ燃料などを作り、同国の栄養失調ゼロを目指して小学生1万人の給食を支援している。これから「論語と算盤」を読み、ベンチャーに取り組む若者たちを支えてほしい。

作家の守屋淳さん

コメンテーター 守屋淳(もりや・あつし)さん

 作家、グロービス経営大学院アルムナイスクール特任教授。65万部を発行する「現代語訳 論語と算盤」の訳者。「孫子」「論語」「韓非子」などの中国思想の研究者で、中国古典や近代の実業家についての著作多数。

シンポジウム概要

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