核兵器と原発の廃絶などを訴える「8・6ヒロシマ~平和の夕べ」が6日、広島市中区であり、被爆者らが講演した。
兵庫県芦屋市の千葉孝子さん(82)は当時3歳で、爆心地から2・5キロの自宅で被爆。幼かったため、あまり記憶はないが、母や兄から町は熱線で皮膚が垂れ下がった人や黒焦げの遺体があふれ、「地獄のようだったと聞いた」という。自分の子どもが病気になるたび、放射能の影響を疑うなど不安は今も続くといい、「核兵器や原発事故はその時の被害だけですまない恐ろしいもの。今後も被爆者として語り続けないといけない」と語った。
長崎市の田上富久元市長も、被爆地の元首長の立場で登壇。被爆者がいなくなる時代が近づいていることに危機感を抱き、「自治体や専門家、市民社会が包囲網を作ったり、若い世代を巻き込んだりして、核兵器のない世界を作らないといけない」などと訴えた。また、軍服を作っていた「旧陸軍被服支廠(ししょう)」と軍服の毛皮にされる前に逃げ出したウサギを題材にした紙芝居「8月のウサギ~被服支廠物語」の制作者で一橋大学院生の佐藤優さん(23)らも講演した。【広瀬晃子】
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