大雨特別警報が出された豪雨が石川県の能登半島北部を襲ってから、28日で1週間となった。輪島市の河川沿いでは、被災者らが住宅内に流れ込んだ泥をかき出す風景が見られた。多くの河川の橋脚には流木が引っかかったままで、被害の大きさを物語っている。その背景を探ると、能登半島ならではの事情が浮かぶ。
出掛けて30分で帰宅すると…
「氾濫するほどではないと思った」
輪島市内で暮らす猪子清(いのこきよし)さん(79)は21日午前9時ごろ、歯医者に出かける時、市内の中心部を流れる自宅近くの河原田川の様子を見て、そう感じたという。
約30分後に自宅に戻ると、川が氾濫寸前になっていて驚いた。午前10時15分ごろには、川沿いの道路にあふれてきたので、高台にある県土木事務所へ避難。翌朝に帰宅すると、床上1・2メートルほど浸水していた跡が残り、床上はヘドロで進むことができなかった。
国土交通省によると、今回の豪雨では能登半島の計27の中小河川が氾濫していた。
なぜ、ここまで被害が広がったのか。河川工学が専門で、豪雨後に河原田川などを視察した谷口健司・金沢大教授はこう指摘する。
「河川には、堤防の場所ごとに許容できる雨量があり、結局のところはそれを上回ったのが一番の要因だ。今回のように観測史上最大の雨が降った場合は対応が難しい」
その観測史上最大の雨というのは、21日だけで輪島市では361・5ミリの降水量を観測した。1日の降水量では、1929年に観測が始まってからの最高値で、9月1カ月間の平均降水量の1・7倍ほどが降ったことになる。
流域面積狭く急勾配もある河川
さらに、被害が広がった理由として、谷口さんは河川の特徴も挙げた。
能登半島はほとんどが山間地だ。海岸沿いのわずかな平地に街がある。そこを流れる河川は、上流部から海までの距離が短く川幅も狭い「中小河川」が多い。
流域面積が狭いうえに急勾配の所もあり、短時間の大雨で「大きな河川より、急激な水位の変化が起きやすい」と説明する。このため、増水が始まってから短時間で氾濫が起きやすい。
能登豪雨の時、河原田川では21日の午前9~10時の時間帯に一気に水位が上がり始めた。
国交省の姫田橋などの観測データを見ると、早朝は1時間当たりの雨量が1~15ミリで、水位は1・4メートルほどだった。
ところが、午前9時になって雨量が81ミリの大雨になると、午前10時に氾濫の恐れがある「氾濫危険水位」(2・9メートル)を大幅に超える4・5メートルまで急上昇した。
この時間帯の1時間雨量も77ミリの大雨が続き、午前10時50分には特別警報が発表された。すると、午前11時の水位はこの日最大の4・8メートルに達した。
谷口さんは「勾配も急だと水の勢いが強くなりやすい。視察した河川の中には容量を大幅に上回る水が勢いよく流れ込み、元々の形が変わる壊滅的な被害が生じていた川もあった」と話す。
元日の地震の影響も?
一方、元日に起きた地震の影響も指摘される。
能登半島の各地の山間部では、地震によって土砂崩れにより川に土砂が積もって流れをせき止める「土砂ダム」ができた。
一般的に、土砂ダムは大雨が降ると多量の水によって徐々に浸食される。決壊すると、さらに多くの水が流れ込むことになり、下流に大きな被害をもたらす危険性がある。
国交省によると、地震で生じ、その後も残っていた大規模な土砂ダムは、輪島市の3河川10カ所に上った。
だが、国交省北陸地方整備局が豪雨後に上空から確認したところ、このうち7カ所が無くなっていた。整備局の山路広明・地域河川調整官は「専門家にも入ってもらい、土砂ダムがあった場所や当時の水量などを分析しながら、河川の氾濫との因果関係などを調べている」と話す。
山間部などで発生した土石流や崖崩れも、地震の影響が考えられるという。
国交省によると、元日に最大震度7の激しい揺れで山腹の表層が崩れたり、地盤に亀裂が入ったりしてもろくなっていた所に記録的な大雨が降ったことで、土砂が押し流されたかもしれないという。
27日時点で確認された土石流や崖崩れは、輪島と珠洲市で計36件。これらに巻き込まれて死亡したのは9人、連絡が取れない安否不明者となっているのは1人だ。【井村陸、面川美栄、郡悠介】
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