佐渡島と本州(越後)が最も近づいている場所はどこなのか――。佐渡沿岸を車で1周し、本州側の海岸も歩いて現地を確認してみた。【中津川甫】
船では新潟―両津、直江津―小木を結ぶ佐渡汽船の航路が有名。2019年まで寺泊―赤泊の航路もあった。特に寺泊は佐渡に近く、鎌倉幕府により佐渡に流罪となった順徳上皇や日蓮が船を出した場所として知られ、越後側の玄関口として昔から認知されてきた。
航路は距離が最も短くなるものを選ぶのが合理的だと思うが、海流や港の問題などもあって決まったのだろう。この三つの航路より距離が近くなる場所が気になり、佐渡市や地元住民に聞くと、耳慣れない地名が浮上した。
佐渡側は旧畑野町(現佐渡市)の松ケ崎(まつがさき)にある市のキャンプ場「松ケ崎ヒストリーパーク」付近。本州側は新潟市西蒲区の角田(かくだ)岬だ。海上保安庁や県などによると、この両地点を結ぶ直線区間(約31・5キロ)が佐渡と本州の間の最短距離になる。
松ケ崎ヒストリーパークには、ランドマークの鴻ノ瀬鼻(こうのせはな)灯台があり、案内板には「古代から北陸道の終点として開けたここ『鴻ノ瀬』は、越後から海上最短距離にあります」と記されていた。「古くは佐渡の国津、表玄関として幾多の流人も上陸した」とも書かれ、流罪で佐渡に渡った日蓮や世阿弥が着岸したことを記念した石碑も置かれていた。
市によると、松ケ崎はかつて国の津(港)があり、北陸道松崎(埼)駅の所在地でもあった。古代の律令制で国ごとに置かれた地方行政府を指す「国府」の出先機関が置かれていたことから、「国府の瀬(こうのせ)」と呼ばれていたという。
以前は潮流の影響で海中に細長く突き出た地形を指す「砂嘴(さし)」が作られ、船底が平らな古代の船が岸に着きやすく、天然の良港だったとされる。江戸期になると、奉行が用いた大型船に適した小木港が公式に使われるようになり、松ケ崎港は北前船の寄港地として栄えた。だが明治中ごろには回船の衰退で港の機能を失ったという。
同パーク近くの路地を歩くと、松前神社の前に松崎駅跡の看板を見つけ、朝廷の使者や貢ぎ物が行き来していた時代があったことが記されていて驚いた。付近の松崎山本行寺(ほんぎょうじ)には大きな日蓮の座像が置かれ、地域に残る伝承も紹介されていた。
一方、本州側の角田岬にも道路脇に日蓮の立像が置かれていた。角田山妙光寺の小川良恵住職によると、寺泊から船出した日蓮は強風に遭い角田浜に漂着。一泊した後に佐渡へ向かったという。日蓮は偶然にも本州と佐渡の最短ルート(角田岬―松ケ崎)で海を渡っていたことになる。
角田浜海水浴場から角田山(481メートル)のふもとにある岬の灯台まで階段で崖を登ると、佐渡島がどこよりも近くに感じられた。どこかで見た景色と思っていたら、新潟市が作成した観光ガイドの表紙になっている場所だった。市観光政策課の担当者は「角田岬は海の風景が良いのに、意外と知られていない。新潟に行きたくなる場所として表紙写真に選んだ」と話していた。
角田岬灯台の真下にある岩場には「判官舟(はんがんふな)かくし」と呼ばれる洞穴がある。源義経が奥州平泉(岩手)へ逃げる際に舟と共に身を隠したと伝わり、市指定文化財になっている。
「行くほどに魅せられて、来るほどに通いたくなる」。市観光ガイドの表紙にはそう書かれていた。取材で佐渡と本州を行き来し、ささいな距離にまで気になっている自分を顧みた時、フレーズ通り新潟の風土に魅力されていることに気づいた。
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