県内各地の避難先から集まり、14年ぶりに実った稲を昔ながらの手刈り作業で収穫する津島地区の農家ら=浪江町津島で2024年9月30日午前10時10分、尾崎修二撮影

 東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域となり、昨春に避難指示が解除された福島県浪江町津島地区の水田で9月30日、事故後初の稲刈りが行われた。農業再生の道のりは険しいが避難先から集まった地元農家らは昔ながらの手刈りに汗を流し、人の営みの途絶えた里山に笑い声が響いた。

 町は将来的に稲作を再開できる環境を整えるため、地元農家らでつくる「津島復興組合」と試験栽培に着手。約800平方メートルの水田1枚に「里山のつぶ」を作付けし、組合員が避難先から通って水管理などに当たった。14年ぶりに実ったコメは放射性物質の測定が主目的のほか、安全性を確認した上で一部を組合員らの食用に回す。

 「懐かしい。中学生の時は地区の田んぼを回って稲刈りを手伝ったもんだ」。参加した8人の組合員の中でも人一倍元気に鎌で刈っていたのは紺野英治さん(74)=南相馬市に避難。事故前はリンドウや古代米を育てる牛農家だったが、自宅は今も帰還困難区域の中。自宅は新区域「特定帰還居住区域」に入ったが、解除は数年以上先だ。

 農業を再開したい気持ちはあるが、年齢を考えると難しい。「除染すれば農地の表土をはぎ取り山砂が入る。豊かな土作りは何十年もかかる。国に『除染したので戻って農業できますよ』と言われても、売れる保証がないものを作るのは厳しい」とこぼす。実際、津島地区の解除エリアの水田でも、稲作再開を具体的に検討する動きがないのが実情だ。

 それでもこの日は、顔なじみの津島の新旧住民らと作業を楽しみ、「津島の田んぼなら、みんなと昔話もできて楽しいね」と笑顔を見せた。

 町は来年も津島地区の別の水田で同様の試験栽培を行う予定。町内の帰還困難区域に設定された特定復興再生拠点区域(復興拠点)は昨年3月末に避難指示が解除されたが、津島地区の復興拠点の居住人口は移住を含め12世帯20人にとどまる。【尾崎修二】

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