日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞が決まり、被爆地の広島・長崎では歓迎の声が広がった。「勇気をもらった」。平和記念公園(広島市)などの関連施設には12日朝から被爆者らが集まり、核廃絶への誓いを新たにした。
「受賞は夢のようだ」。広島市の被爆者、小林貴子さん(80)は原爆投下時刻の午前8時15分ごろ、平和記念公園内の慰霊碑を訪れ、黙とうをささげた。
11日夜、受賞決定を知り「腰が抜けた」という。1歳7カ月で爆心地から2.8キロ離れた自宅で被爆し、1970年代から核廃絶を訴える活動に参加してきた。「生きていく限り被爆者であり続ける。(受賞に)勇気をもらった」と喜んだ。
若い世代も改めて平和を願った。広島市の高校に通う女子生徒(17)は「受賞が多くの人にとって平和を思うきっかけになれば」と力を込めた。同級生には被爆3世も多く、惨禍を伝え続ける意思を心強く感じるという。「一人ひとりが原爆投下の事実や、平和賞のことを覚えておくことが大切だ」と話す。
横浜市の小学6年、土屋修平君(11)はこの日、母親(41)と旅行で平和記念公園を訪れた。漫画などを通じ、原爆投下の歴史を学んできた。「将来、外国人に英語で被爆地・広島の姿を伝えられるようになりたい」と話した。
外国人観光客らも受賞を歓迎した。被爆建造物に関心があったというカナダの公務員、ポール・アルバネーゼさん(63)は新聞で受賞を知った。「被爆者が長年努力を重ねた結果だ。とても名誉なこと」と語った。
「長崎を最後の被爆地に」。長崎市でもこれまで被爆者や市民の活動が続いてきた。福島市から仕事で訪れた女性(57)は平和公園の平和祈念像に立ち寄り、「福島は原発の問題があり、長崎を身近に感じていた。世界情勢が悪化する中、あえてこのタイミングでの受賞なのかなと思う」とたたえた。
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