トヨタ第五のチャネルとして登場したビスタ店。その店の看板商品となったのが、カムリと姉妹車のビスタだった。現在は、チャネル名も車名も消えてしまっている。しかし、ビスタ店や乗用車のビスタがなければ、今の自動車販売は大きく違うものになっていただろう。クルマ通なら知っておきたい、ビスタの功績に迫っていく。
文:佐々木 亘/写真:ベストカー編集部 ほか
■トヨタが展望を預けたのが「ビスタ」
沖縄以外の全都道府県で、トヨタの新チャネル「ビスタ店」が始動したのは1980年のこと。初代ビスタが登場したのは、チャネル開業から2年後の1982年だ。
ビスタとは、英語で「展望」の意。VISTAの頭文字Vには、勝利のVとローマ数字の5(トヨタ5つ目のチャネル)の意味も入っている。
比較的上級車種や個性派車種の取り扱いが多かったビスタ店。既存4チャネルの間を埋めるために登場したビスタ店は、革新的な販売方法に取り組んでいる。
それは今では当たり前になった、自動車の店頭販売だ。ビスタ店は、ショールームで営業マンが待っているという販売方法を大きく進めたお店である。
当時クルマは、顧客の自宅へ訪問して販売するのが主流だった。しかし、ビスタ店では店頭受注が、総受注の4分の1を占める。これには、自動車販売業界全体が驚き、挙って真似をした。
さらに、自動車ディーラーの日曜営業を、いち早く取り入れたのもビスタだ。こうした新しい取り組みの成果は大きく、開業初年の販売実績は、目標を大きく上回る5万1000台にのぼっている。
斬新な店舗づくりや、広告宣伝の重点投入など、あたらしい販売手法に挑戦してきたのがビスタ店だ。自動車販売の新たな道を切り開いたその店で、展望の意思を託されたのが、ビスタというクルマである。
■超合理的なビスタ! 姉妹関係を解消後も合理的なクルマであり続ける
カムリと姉妹関係にあった初代から4代目までは、それほど目立った存在ではなかった。合理的なセダンが革新的な店で販売されている、これがビスタの姿だったと思う。ただ、1998年のフルモデルチェンジを機に、ビスタは大きな変革を遂げる。
ビスタの最終章は、国内専用車としての独立だった。5ナンバーサイズを守りながらも、全長4,645mmのボディに対して、ホイールベースを2,700mmも確保した。さらにセダンとしては高めの1,505mmあるルーフが、圧倒的な居室内の空間を作り出す。
未来のセダンはきっとこんな感じなのだろうと、目新しさしかなかったのが5代目ビスタだった。
セダンながらコラムシフトを採用し、前後席はサイドウォークスルーを可能する。座面の位置も、従来のセダンよりも75mm高い。身をかがめて乗る必要が無く、セダンでありながら、ミニバンのような雰囲気を感じる車内も新しい。
セダンであるがセダンではない。目新しすぎて、当時のユーザーの琴線に大きく振れることは無かったが、現代に再来となれば、人気が出そうな雰囲気がある。
新しい販売の形がビスタ店ならば、ビスタは新しいクルマの形なのだろう。ビスタという店もクルマも、その存在無くして現代の自動車販売は語れない。
■ビスタの魂はどこへいったのか
5世代、21年にわたって続いてきたビスタの歴史に幕が下ろされたのは2003年のことだ。翌年、国内のトヨタチャネルは4チャネル制へと変わる。ビスタ・オート店はネッツ店へと生まれ変わり、チャネルからもビスタの名前が消えた。これがビスタの終焉だ。
終焉後、ユーザーファーストな店舗運営はネッツ店へ引き継がれ、ビスタ店の個性はレクサスに受け継がれたのだろう。ただ、ビスタのクルマづくりが、直接的に継承された跡は無い。
ビスタは、消滅するだけの明確な理由を持たずに消えてしまったように思う。こういうクルマこそ、現代の技術で復活してほしいものだ。特に5代目ビスタは、パッケージングをそのままに、心臓部へHEVを入れれば、現代のヒット作になる可能性もある。
自動車の売り方や営業方法を変え、セダンのクルマづくりも大きく変えたビスタ。ネームバリューこそ小さいが、ビスタが存在し残していったモノは、計り知れないほど大きい。
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