2011年末に登場した初代アクア。世界一の燃費性能を誇っていたのが話題であったが、岩手工場で製造されている過程を流すTVCMで「岩手から世界へ」というフレーズも印象的であった。アクアは東日本大震災の復興シンボルとしての側面もあったのだ。今回は東北復興の星であったアクアを振り返ってみよう。

文:西川昇吾/写真:トヨタ

■岩手から世界一を世界へ

2011年12月に登場した初代トヨタ アクア

 当時アクアはJC08モード走行燃費35.4km/Lという燃費性能を誇っており、正に世界一の低燃費カーであった。それでいて、エントリーグレードは169万円からというリーズナブルな価格設定も魅力的な要素であった。

 そんなアクアは北米やヨーロッパ市場でも「プリウスC」として販売されているグローバルモデルだが、岩手工場で生産されている。これはフルモデルチェンジした現行型も同じだ。まさに、「岩手から世界へ」を体現するモデルなのだ。

■トヨタ自動車東日本にとって大切なモデルであった初代アクア

コンパクト車の専門集団を掲げたトヨタ自動車東日本にとって、初代アクアは重要なモデルだった

 現在トヨタ自動車東日本で生産されているアクア。この会社は関東自動車工業、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3社が統合して誕生した、トヨタの小型車を製造する会社で、2012年7月に誕生した。

 東北エリアには宮城大衡工場生産と岩手工場を有しているトヨタ自動車東日本だが、初代アクアの時はまだトヨタ自動車東日本が誕生しておらず、当時の関東自動車工業の岩手工場で生産がスタートした。

 アクアを生産している岩手工場も東日本大震災で被害を受けた。38日間生産がストップし、初代アクアの生産準備と重なってしまったのだ。

 しかし、アクアは2012年に誕生したトヨタ自動車東日本にとって重要なモデルでもあった。登場こそアクアの方が先だが、トヨタ自動車東日本はコンパクト車の専門集団を掲げた会社であり、世界一の性能を求めたグローバルモデルであった。

 アクアはトヨタ自動車東日本のスタートダッシュを切るのに非常に重要なモデルだったのだ。

 東日本大震災以前から、重要な名が担わされていたとも言えるアクア。それだけにこのラインオフを遅らせてはいけない、そんな思いがあったはずだ。関係者全員がアクアのラインオフを遅らせない強い想いで生産準備を整えたそうだ。

■東北復興のシンボルは2代目でも変わらない

2021年7月に登場した2代目(現行型)トヨタ アクア

 こうして2011年末に登場したアクア。様々なバリエーションのTVCMがあったが、生産の様子やラインオフ式のバージョンがあったのは、珍しいと感じた。そしてその生産が岩手で行われていることも大々的にPRされていた。それだけ、アクアと東北復興にかけた思いが溢れていたということだろう。

 初代アクアの発表会では、岩手工場から東北復興に向けた想いのメッセージが寄せられた。

 また、2021年に登場した現行2代目アクアのラインオフ式ではトヨタ自動車東日本の宮内一公社長が現地で、そして豊田章男社長(当時)もビデオメッセージでアクアと東北復興について触れた。まさにアクアは東北復興の星であるのだ。

 東北復興の星として誕生したアクアに給電機能が標準装備されたことも何だか感慨深いポイントだ。

 これからもアクアは岩手から世界に届けられる東北復興の星として成長を続けるはずだ。

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