かつて、1964年5月「第二回日本グランプリ」に日本中を沸かせ、その後のモータースポーツ界に大きな影響を及ぼしたクルマがあった。その名も「スカイライン」。おそらく多くの人は、この言葉を聞いてGT-Rの文字が横切ったと思うが、今回紹介するのはそれよりもずっと前の「プリンス自動車時代のスカイライン」である。

文、写真/いのうえ・こーいち

■プリンス・セダンAISH-1型

1963年登場のプリンス スカイライン(S50)。プリンス自動車は立川飛行機に源流を持ち、戦後は自動車製造に着手し、電気自動車の製造なども行っていた

 1960年代には日産に吸収合併されてしまうのだが、プリンス自動車の名はいまだ少なからぬファンが存在する。

 戦争中に飛行機をつくっていた会社が戦後、自動車生産に向かう例は少なくなかった。立川飛行機に源を持つプリンス自動車は、技術を志向したブランドとして知られていた。日産になってからもたとえばチェリーなどで、プリンス系の技術を発見して、懐かしく思ったりしたのだった。

 プリンスの最初の作品となったのはプリンス・セダンAISH-1型、というものであった。その型式、のちのちチェンジしてALSI-2改型などと呼ばれたりするのも、いかにももと航空機メーカー、技術志向の資質を感じさせる。

 話をスカイラインに戻して、そのプリンス・セダンの流れを汲んでスカイラインの名前が登場するのだが、こん回紹介したいのはそのひとつ後、1960年代になってからのスカイラインだ。

■S50系スカイラインと「GT」

スカイライン1500は直4エンジンを搭載していたが、第2回日本グランプリに備えてスカイラインGTを開発、グロリア用の直6エンジンをホイールベースを延長させて無理矢理乗せ、2.0Lとした

 フル・モデルチェンジされてS50系のスカイラインが発表されたのは1963年9月、発売は11月。小型車としてスカイライン1500の名での登場であった。ホイールベース2390mm、直列4気筒OHV1484cc、70PSエンジンを搭載したモノコック、4ドアのサルーンであった。

 技術を売りものに、それなりに人気を得ていたS50系の名前を一気に広めたのは、ひとつのモデルの登場である。1964年3月に発表(発売は5月)されたそれは、いうところの「ホモロゲイション・モデル」というものであった。

 レース等に勝利するために、定められた規定、ホモロゲイションに合致する数だけを特別生産されたモデルである。

 そのバックグラウンドはこうである。1962年の鈴鹿サーキットの完成を受けて、1963年にはじまった「第一回日本グランプリ」。大変な盛り上がりのなか、各メーカーはレースでの勝利には大きな宣伝効果があることを感じ取っていた。

 その第二回目を間近に控え、プリンスがとんでもないクルマを発表したのである。それがスカイラインGT、「スカG」の元祖になるモデルだ。

 先に発売のスカイライン1500の1.5Lエンジンに代え、上級のグロリア用2.0Lエンジンを押込んで高性能を引き出そう、というのである。

 グロリアのエンジンは直列6気筒。スカイラインのエンジンルームに収まらないサイズのところ、無理矢理ホイールベースを200mm延長して、文字通り押込んだという、そのアンバランスさえレースで勝つため、と讃美されるような存在になった。

 グロリア用の直列6気筒SOHC1988ccエンジンは105PSを発揮した。それを、ウエーバー・キャブなどで125PSにまでチューニングして搭載したスカイラインGTを100台「量産」し、レースに打って出るのである。

■レースの伝説のシーン

第2回日本グランプリで、スカイラインGTはほんの一瞬ポルシェの前に出た。当然観客は熱狂し、現在にまで至るスカイライン伝説の始まりとなった

 それはスカイラインGTがデビュウした1964年5月「第二回日本グランプリ」でのことだ。スカイラインGTがエントリイする「GT-II」クラスには、突如送り込まれたポルシェ904カレラGTSが走るという。

 ポルシェはそれこそレース専用に開発されたようなミドシップ・スポーツカーだ。いくら高性能エンジンを搭載したからといっても、サルーン・ボディのスカイラインに勝ち目はない。

 結果は予想通りポルシェの圧勝となるのだが、スカイラインGTがポルシェの前に出る一瞬があった。そのときの沸き返ったサーキットのようすが目に浮かぶ。それこそ語り草、というものだ。

 100台限定でつくられる筈の「スカG」は、寄せられる声に応えて量産が決定される。

 125PSエンジン搭載モデルをスカイライン「GT-B」、別にシングル・キャブで105PSの「GT-A」もラインアップされ、「スカG」人気が定着。型式S54Bから「54B(ゴーヨン・ビー)」と愛称され、赤地のGTエンブレム(「GT-A」は青地)とともに、シンボリックなモデルになったのだった。

 エンブレムの地色など、そのまま「GT-R」にも引継がれ、クルマ好きの伝説にもなっているのはご存知の通りだ。

【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。