もはや言うまでもなくアバルトはイタリアのブランドだが、遠く海を隔てた日本でも、昔から「アバルト愛」は熱狂的なファンたちの手によって積み重ねられていた。だがそれは主に、輸入されていた歴代アバルトファミリーの功績が大きいのである。この記事では時代を彩ったアバルトの名車たちを、細かくご紹介していく。
※本稿は2024年7月のものです
文:大音安弘/写真:ステランティス ほか
初出:『ベストカー』2024年8月10日号
■アバルトの歴史
1949年に創業したアバルトは、当初は極少数のレーシングカーとフィアット向けチューニングパーツを手掛けていたが、1956年にフィアット600向けのコンプリートキット「フィアット アバルト 750 デリヴァツィオーネ」の成功を皮切りに、自動車メーカーとしての道も歩み始めた。
続々と生み出される高性能モデルたちは「アバルトマジック」と称賛され、当時のカーガイを夢中にさせた。
元2輪レーサーである創業者、カルロ・アバルトのレースへの情熱は脈々と受け継がれ、フィアット傘下となった後も、アバルト124ラリーなどの勝利を掴めるマシンを数多く生み出し、さらにグループ内の他ブランドの競技車両の開発にも尽力した。
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■日本とアバルト
日本人がアバルトに夢中になるきっかけは、1971年登場のアウトビアンキ A112 アバルトだ。小粋なイタリアンコンパクトをホットハッチに仕立てた姿は、現代のアバルト 500系に通じるものがある。
MINI同様に、日本人は、毎日愛用できるヤンチャで小さなクルマが大好きなのだ。
EVにシフトした今も、感性を刺激するクルマ作りにはブレがなく、走行音にこだわるなど、アバルトらしさを貫く。ただ本国では、ハイブリッドの500の登場を予告。
やはり、エンジン付きのアバルト復活に期待してしまうのも本音だ。
■アバルトとモータースポーツ
1971年にフィアットに買収されたアバルトは、市販車製作ではなくフィアットのモータースポーツ部門を担当。
アバルト124ラリー、131アバルトラリーでのWRCでの成功の後、フィアットに代わりWRCに参戦することになったランチアのワークスチーム、「ランチア・スクアドラ・コルセ」を運営し、グループBのランチアラリー037、S4に続いて最高傑作のデルタインテグラーレシリーズを生み出した。
ランチアはインテグラーレでの1987~1992年までの6連覇でWRCからワークス撤退したが、ランチアの大記録はアバルトが支えた。
そのほか、アルファロメオ155でDTM制覇、フィアット傘下のフェラーリのF1にも技術的に参画するなど、アバルトは20世紀から21世紀初頭のフィアットグループのモータースポーツの中心的存在だった。
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