現在はMAZDA6が終売し、フラッグシップセダンがラインナップから消えてしまったマツダ。しかし1990年代にはそれまでのルーチェの後継車種として、堂々としたボディサイズを持ったモデルをリリースしていた。それが1991年5月に登場した初代センティアだ。

文/小鮒康一:写真/マツダ

■5ナンバーサイズも並行して検討されていたセンティア

1991年登場のマツダ センティア。ルーチェの後継車種として2000年まで販売された

 ルーチェの後継車種としては1986年ごろから開発がスタートしていたが、当時は税制改正のタイミングが不透明だったため、ルーチェと同じく5ナンバーサイズのものと3ナンバーサイズのものの2種類が並行して検討されていた。

 結局1989年4月に税制改正が施行され、3ナンバー車への重課がなくなったことで3ナンバークラスの車両への需要が拡大し、センティアも3ナンバーサイズのボディを纏うことになった。

 全長が4,925mm、全幅が1,795mmとセルシオに匹敵するサイズであり、ホイールベースに至ってはセルシオよりも長い2,850mmを誇っていた。

 エクステリアデザインもドイツ的な押し出しの強いセルシオに対し、センティアはドライバーズカーを目指していたことも相まって、低い全高と伸びやかな曲面を多用した流麗なプロポーションを実現し、国内外から高い評価を集めたのである。

 パワートレインはV型6気筒の3.0Lと2.5Lの2本立てとなっていたが、当初はルーチェのロータリーモデルに乗るユーザーの代替先として、3ローターのロータリーエンジンを搭載することも検討されていたようで、言われてみればユーノスコスモの4ドアセダン版のような雰囲気も持ち合わせていたとも言えそうだ。

 なお、この初代センティアには量産車として世界初のソーラーベンチレーションシステムが設定されていた。

 このソーラーベンチレーションシステムは、サンルーフ部分にソーラーパネルを組み込んで発電することで、車両側のバッテリーを消耗させることなく車内の換気を実現するというもの。

 近いシステムは3代目プリウスにも設定されたが、センティアはソーラーパネルをシースルー構造としたことで、サンルーフとしての効果を両立していた点が大きな違いとなっていた。

 当時はバブル経済の崩壊後であり、マツダの経営難もあって、やや日陰の存在となってしまった初代センティアではあったが、今見てもそのデザインの美しさは特筆すべきものがあり、もしロータリーエンジン搭載車がラインナップされていたら、現代の評価もさらに違うものになっていたかもしれない。

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