1980年代後半からマツダが展開した5チャンネル体制は、バブル景気に乗じて販売チャンネルを拡大することで販売台数を増やすという目論見で行われたものだったが、バブル崩壊後は大幅に販売台数が減少し、マツダの経営が傾く現況となってしまった。
そんな5チャンネル時代に存在した販売チャンネルの中でも、1982年設立と比較的古い歴史を持っていたのが、フォード車を専売とするオートラマ店だった。
文/小鮒康一:写真/マツダ、フォード
■フォードがマツダに資本参加したことで生まれたオートラマ店
オートモービルとパノラマを合わせた造語が由来となったオートラマ店は、それまで存在していたマツダ店とマツダオート店に続く第3のマツダ系ディーラーとして誕生。
ただ取り扱うモデルはマツダ車ではなく、フォードブランドの車両のみとなっており、当初はファミリアの兄弟車のレーザー、カペラの兄弟車のテルスターを擁してスタートしており、フォードのエンブレムを付けてはいるものの、どちらもマツダの工場で生産された日本製の車両となっていたのだ。
その後はボンゴの兄弟車であるスペクトロンもラインナップに追加したオートラマ店だったが、1986年2月にオートラマ店専売車種としてフェスティバをリリース。
このモデルはマツダブランドでは販売されず(海外ではマツダ121として販売されたが)、使い勝手のよいトールボーイスタイルの車型や日本車初の電動キャンバストップを用意するなどしたこともあってオートラマ店きっての人気車種となったのである。
その後は一部の国外製フォード車の正規輸入権を取得し、オートラマ店でマツダ製フォード車と共に併売するなどしていたが、前述したようにマツダの経営悪化によってディーラーの再編などがなされ、1994年にはオートラマ店からフォード店へと改称。
その後もマツダ車ベースのフォード車の販売は続けられていたが、2003年末に日本製フォード車が撤退となり、フォード店は純然たる輸入車ディーラーへと姿を変えていった。
そんなフォードも2016年下半期をもって日本国内の事業を全て終了しており、現在はフォード車の正規輸入は途絶え、一部の元フォードディーラーが並行輸入車を販売するに留まっている。
このように紆余曲折あったオートラマ店の車両だが、マツダ車ベースとはいえうまく輸入車らしい雰囲気を持つモデルにリファインされていた点は特筆すべきポイントだったと言えるだろう。
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