16代目クラウンはクロスオーバー、セダン、スポーツ、エステートと4車種を揃え、豊田章男氏が発した「16代目クラウンは明治維新」という言葉通り、革新的なモデルとなっている。16代目クラウンのボディバリエーションの多さや斬新なデザインは、「クジラクラウン」と呼ばれた4代目クラウンを彷彿とさせる。そこで、4代目クラウンにスポットを当て美しいスタイルを中心に見ていきたいと思う。
文:ベストカーWeb編集部/写真:トヨタ、ベストカーWeb編集部
記事リンク
前の記事[新型スカイライン]はクラウン戦法!? ホンダとタッグでワゴンにクーペ復活の可能性も!?
次の記事セドリックパトカー引退にファン続々のなぜ? 数少ない現役車両に迫る
■歴代クラウンのなかで最も革新的で最も美しいスタイル?
1971年2月にデビューした4代目クラウンを御存じだろうか? ボディのバリエーションは、4ドアセダン、2ドアハードトップ、カスタム(5ドアワゴン)/バンのラインナップだった。
まずはそのスタイルを見てほしい。ボンネットフードとフロントグリルの間にウインカーランプが備わる2段構えの顔つきで空力を考慮したスピンドルシェイプ(紡錘形)だ。スピンドルと聞いて思い出すのは2012年に登場したレクサスGSから採用されたスピンドルグリルがあるがこれとは違う。
さらにエクステリアデザインについて深堀りしてみたい。今から53年前、昭和46年2月26日に発売された当時のプレスリリース(原文)を抜粋して紹介しよう。
クラウンシリーズは昭和三十年一月、わが国初の本格的国産乗用車、トヨペットクラウン(RS)の誕生に始まり、その後、数々の改良を加えるとともに車種を逐次増加し、特に昭和四十年十月には六気筒車を発売してワイドセレクション体制を確立、さらに四十二年九月のモデルチェンジではオーナーデラックス、四十三年十月にはハードトップを発売するなど法人需要のみならず、個人需要の開拓をはかり、文字通り日本の中型車市場をリードしてきた。
このたびのモデルチェンジは、より安全に、より快適にという顧客の要望に応えるため、安全性、豪華さ、高速対応性、車種バリエーションを一段と拡充し、性能、装備のグレードアップを大幅にはかるとともに、時代をリードする先進的なスタイル=スピンドルシェイプ(紡錘型)を採用した。
スピンドルシェイプの基本的なねらいは、
1:安全性の高い形状
2:高速になじむ形状(空力学形状)
の追及であり、これからのスタイリングをリードすると思われる。
さらにセダンとハードトップはそれぞれ別固の概念としてとらえた設計思想でつらぬかれており、その結果先進的で個性的なニュークラウンが誕生した。
スタイルについてのさらに詳しい説明文は以下のとおり(原文まま)。
先進的かつ個性的な形状―スピンドルシェイプ(紡錘型)を採用した。
・流動感あふれるダイナミックな形状
・キャビンとボデーの一体感を強調
・突起物を極力防止した安全性の高い面構成
・ビルトインタイプ(組込み式)のカラードバンパー採用
・フロント、リアの三角窓の廃止
プレスリリースの文面と読めばわかるとおり、トヨタはクラウンのデザインに対して並々ならぬ力を注いでいることがわかる。
現行クラウンクロスオーバーのリアスタイルと、4代目クラウンカスタム(ワゴン)のそれと実によく似ていると思うのは筆者だけだろうか。
記事リンク
前の記事[新型スカイライン]はクラウン戦法!? ホンダとタッグでワゴンにクーペ復活の可能性も!?
次の記事セドリックパトカー引退にファン続々のなぜ? 数少ない現役車両に迫る
■デザインが革新すぎて受け入れられなかった?
4代目クラウンが誕生した1960年代は所得倍増計画が発表され、学生運動が盛んになり、アポロ11号が初めて月面に到達した時代。1971年2月に発表された4代目クラウンは、そんな時代に開発されていた。
当時、役員会議によってデザインを最終決定する時には保守/中庸/革新それぞれのデザインが並べられた。結局、圧倒的多数で市販されたデザインが選ばれたという。デザインを担当したのは、1年間のドイツ留学から帰って来たばかりの若手デザイナーの渚徹だった。
デビューするやいなや、車体下側の丸みを帯びたシェイプがクジラのお腹部分に似ていたことから「クジラクラウン」と呼ばれた。発売当時の自動車雑誌は、絶賛の言葉が並んでいた。
当時、ライバル車の230系日産セドリックとは「保守のセドリックと革新のクラウン」と比較されていた。三角窓をなくし、カラードバンパーといった革新的な装備、そして空力や安全性に向けての解答がスピンドルシェイプだった。しかし、2重ボンネットは左先端が見えづらく、トランク容量が不足。それはデザイン優先の弊害と指摘された。
発売当初、販売は順調だったが、発売半年後、夏の渋滞によってオーバーヒートが多発。ラジエターから放出された熱が凹みの部分で再循環してしまい、熱がこもってオーバーヒートしてしまったのだ。タクシーの注文も激減し、230セドリック&グロリアの後塵を拝してしまう。
トヨタは、急ぎ、バンパーに空気孔を設けて風通しをよくしたり、対策を施しても販売は元には戻らなかった。1973年にはグリル、トランクを含めたリア周りの金型を変更するまでして大がかりなスタイルを変更するとともに、電磁ドアロック、プリントアンテナ、リアパワーシートなどの装備を充実させたマイナーチェンジを行った。
しかし、一度落ちた評判はなかなか戻らないのが常である。メカニズムの欠陥が「スピンドルシェイプが悪い」と、革新的なデザインにすり替ってしまったのだ。当時の販売台数を調べて見ると、230系のセドリックは28万6281台、230系のグロリアは10万2226台で、4代目クラウンは28万7970台と惨敗してしまった。
トヨタとしては看板車種に、時代の先をゆく先駆車として“挑戦”を試みたわけだが、結果として、クラウン史上最大の失敗作と言われてしまったのである。
当時、4代目クラウンの開発主査、小室武氏は以下のように回想している。
「営業面では失敗に終わりましたが、一方で大きな教訓も残したと思います。クラウンの開発では、ユーザーが求める時代の“少し先”を行くのがよい。けっして独りよがりで進みすぎてもよくないんです。ある意味、その後のクラウンの位置づけを確認するきっかけとなったといえるでしょう」。
クラウンの開発テーマは常に”継承と革新”。保守を継承すれば、高齢ユーザーばかりになり、若いユーザー層を取り込まなければいけないと思えば、革新は必須だが、先に行き過ぎてもそっぽを向かれてしまう。
誕生から60年あまり経った今、現行クラウンはいい線をいっているように思う。ほぼおじさん世代しか乗っていなかった「オヤジのクラウン」像が打ち破られ、若返った16代目。
まさかクラウンシリーズの第一弾としてクロスオーバーが登場するとは夢にも思わなかった。そしてSUVのスポーツ、FRサルーンのクラウンセダン、近々にはエステートが登場するという、このラインナップを誰が想像しただろうか。
16代目の現行クラウンシリーズは「歴代クラウン最大の革新車(大ヒット車?」と言われる日が来るかもしれない。みなさんはどう思いますか?
記事リンク
前の記事[新型スカイライン]はクラウン戦法!? ホンダとタッグでワゴンにクーペ復活の可能性も!?
次の記事セドリックパトカー引退にファン続々のなぜ? 数少ない現役車両に迫る
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。