クルマ好きが一番欲しいクルマ、それは走らせたら楽しい、それでいて身近かに置いておいても手に余らない……その答のひとつは小さなスポーツカー、ではあるまいか。ホンダ・ビート、1991年に発売され、およそ5年間に3万3000台ほどがつくられた。いまなお熱心な愛好家が存在する魅力のスペックの持ち主、である。

文、写真/いのうえ・こーいち

■NSXの対極のモデル

1991年5月に発表されたホンダ ビート。ホンダが遊び心を持ちつつ本気で開発した軽オープンスポーツだ

 ホンダがいろいろなことに挑戦する集大成のような気持ちでNSXを世界に向けて全力投球しようとしていた時、その反動のような「遊び心」で生み出された……当時のホンダの方に伺ったことがある。

 なるほど、そういわれてみればビートというクルマがあれだけのスペックを持ちながらも、どこか肩の力が抜けた印象を与える理由が少し解ったような気になったものだ。

 改めてスペックを繰ってみると、「軽」にして初のミドシップ・オープンという、まったく新しいジャンルのクルマ。そこに込められた意欲は、じつはNSXにも劣らない熱いものがあったのではないだろうか。

 3.4m以下という「軽」の規格の中で、2280mmというロング・ホイールベースを採用。モノコック・シャシーに前後ともマクファーソン・ストラットというサスペンションを持つ。

 フロントに155/65R13、リアに165/60R14と、前後で異径のタイヤという拘り振りである。「軽」初の四輪ディスク・ブレーキというのも話題になった。

 スタイリングは明快で、うまく前後のバンパーを融け込ませて、シンプルかつダイナミックなプロポーションに仕上げてある。フロントのウインドスクリーンは面積も大きく、着座ポジションもミドシップらしいいい位置だ。

■エンジンはNA

派手なゼブラ模様のシートも面白い。コンパクトにまとめたメーターパネルはどこかオートバイのメーターを思わせる

 ミドシップに横置き搭載されるE07A型と呼ばれるエンジンは、水冷直列3気筒656cc。SOHCながら気筒あたり4ヴァルヴを採用、電子式燃料噴射装置によってNA(ターボを使わないノーマル・アスピレイション)で、当時の「軽」の実質的な上限であった64PSを発揮した。

 その最大パワーは8100r.p.m.で得られる、高回転高出力タイプ。回せば回すほど元気の出る、小気味のよいまさしくスポーツカー・エンジンというものであった。

 これで5段MTを駆使して走るのは、クルマ好きにとっては喜び以外のなにものでもなかった。そのシフトもNSXと同じストロークにセッティングされていた、という。

 ゼブラ模様のシート、コンパクトにまとまったメーターパネルなど、ここでは「軽」の小ささも悪くない、と思わせてくれる。大きく寝たウインドスクリーンのおかげで、風の影響も少なく気持ちのいいオープンエア・モータリングという範囲だ。

 ミドに搭載のエンジンはほとんど見ることができないが、しゅんしゅんと軽快なサウンドを轟かせている、といった風。回転を上げた時の小気味よさは前述の通りだ。

■5年間、チェンジなし

前後で異径のタイヤを装着する。軽自動車初となる四輪ディスクブレーキを採用した

 ビートの標準カラーは4色。遊びのクルマなんだからもっといろんなカラーが欲しい……といった声は少なからずあったようだ。

 「アズテック・グリーン・パールM」という緑に塗られた限定モデルは1992年2月、800台限定で販売された。3ヶ月後の同年5月には「キャプティバ・ブルー・パール」塗色の500台限定モデルが登場する。それぞれ「ヴァージョンF」「ヴァージョンC」と呼ばれ、ホワイトのホイールが組み合わされた。

 さらに1993年2月には「ヴァージョンZ」が追加されるが、これは限定ではなくラインアップとして併売された。「エヴァグレイド・グリーンM」塗色にリアスポイラー装着が特徴だった。

 ビートについて、熱心なホンダ好きが拘っていることがもうひとつある。1991年5月15日の発表会、そこには本田宗一郎さんの姿があったのだ。同年8月に他界される前の、最後の発表会とされる。

 フェラーリF40を発表し、見届けるようにこの世を去ったエンツオ・フェラーリにも準えられ、それゆえいっそう忘れられない一台、という。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。