対馬丸記念館の開館20年を記念したシンポジウムが開かれ、記憶の継承や記念館が果たすべき役割などについて意見が交わされました。

太平洋戦争末期の1944年、学童を含む1700人あまりを乗せ、沖縄から九州へ向かっていた疎開船・対馬丸はアメリカ軍の攻撃を受けて沈没しました。

6月1日に那覇市で開かれたシンポジウムでは、2人の姉を亡くした対馬丸記念会の外間邦子常任理事が「記念館は犠牲になった子どもたちの帰る場所でもあり遺族や親族を繋ぐ重要な拠点」であると話しました。また、兄2人を亡くした渡口眞常副代表理事は「いまだ海中に眠ったままの船体や遺品を引き揚げられないか検討したい」と考えを語りました。

生存者や遺族の高齢化により記憶の継承が課題となっているなか、対馬丸記念館では語り部の育成や子どもたちの平和学習に力を入れ「平和発信の拠点」としての役割を果たしていきたいとしています。

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