2020年3月14日に開業したJR東日本の高輪ゲートウェイ駅。全く新しい駅のため、かつての駅で見られた設備の一部は用意されていない(20年9月9日に筆者撮影)

普段何気なく利用している駅も時間の経過とともに変化していく。半世紀も前と比べると、駅で見られる施設や設備、サービスなどが大きく変わってしまったことに気付かされる。

「白線の内側まで〜」今は昔

列車の到着が近づくと「黄色い線までお下がりください」と案内される。黄色い線とは、実際には目の不自由な人のために設置された視覚障害者誘導用ブロック、一般的に「点字ブロック」と呼ばれる1個30センチメートル四方のものだ。ホームの縁から80〜100センチほどの場所に設置すると国土交通省のバリアフリー整備ガイドラインで決められている。

いまから50年前のホームにも線は敷かれていたが色は白で、駅の案内放送も「白線の内側まで〜」だ。実際には1本の線ではなく、点字ブロックよりもはるかに小ぶりな長方形の白色のタイルが一定の間隔を置いて点線のように並んでいた。

ホームの縁の近くには「黄色い線」と案内されることの多い点字ブロックが設置されている。その奥に見えるのは、かつての駅でしばしば見られた「白線」で、白色のタイルで構成されている(大貫駅で2017年6月5日に筆者撮影)

なお、ホームの点字ブロックがどの駅に初めて設置されたのかやその時期は定かでない。JRの前身となる国鉄では、いまのJR西日本阪和線の我孫子町駅に1970(昭和45)年3月に設けられたものが最初だという。

旅客の手荷物運ぶ「赤帽」

かつて長距離を旅する利用者の多い駅では「赤帽」と呼ばれる人がいた。こう言うと決まって「運送会社の赤帽が、昔は駅でもサービスを行っていたのですか」と返ってくる。

いま赤帽と言えば、全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会の傘下で運送事業を営む事業者を指すことが多いだろう。けれども、駅にいた赤帽はそれ以前からあり、直接関係はない。

駅の赤帽は旅客が携えた荷物を運ぶポーターサービスを担っていた。歴史は古く、日本では1896年(明治29年)に現在のJR西日本山陽線の前身、山陽鉄道の姫路駅、岡山駅、尾道駅、広島駅で「荷運び夫」と呼ばれる人たちがサービスを始めたことが始まりだ。西欧の主要駅では赤色の帽子をかぶってサービスが行われており、山陽鉄道もそれに倣ったところ、やがて赤帽と呼ばれるようになったという。

筆者も小学5年生であった1977年(昭和52年)の春、家族と一緒に東海道新幹線の東京駅に降り立ったとき、赤帽に荷物を運んでもらったことがある。洋装の制服を着用していたが、階段などで滑らないようにするためか、地下足袋を履いていた。台車などは使わず、いくつかの荷物を頑丈なベルトでまとめたうえ、肩にかけて早足で歩いていた姿がいまでも忘れられない。

時は流れ、多数の手荷物を携えて鉄道を利用する人の数が減り、宅配便の普及もあって軽装での旅行が一般的となった。赤帽も高齢化が進み、21世紀を前に次々に姿を消した。最後まで赤帽がいた駅はJR西日本の岡山駅で、2000年代半ばには引退した。

JR東京駅では2012年にポーターサービスが復活した。帽子は黒色に赤色のラインが入ったもので、赤帽とは呼ばれていない。(当時の服装)

駅でのポーターサービス自体は12年(平成24年)10月に東京駅に復活している。丸の内北口に開設されたJR東日本トラベルサービスセンターに待機するヤマト運輸の担当者によって主にインバウンドの利用者向けに営業中だ。

きっぷの販売窓口は削減

今後駅から見られなくなりそうなものも挙げておこう。それは駅の窓口だ。

いまから半世紀前の国鉄時代には、新幹線や特急列車の指定席券は駅の「みどりの窓口」で購入するのが当たり前であった。国鉄が分割民営化でJRとなった後も大多数が残され(JR東海は「きっぷうりば」に改称)、しばらくは新規の窓口も開設される。

10年代以降、JR各社は交通系ICカード、指定席券も取り扱える高機能な自動券売機、インターネットによるチケットレス乗車サービスの導入を進めた。その結果、窓口の利用者は減っていく。

近年急速に数を増やしている、新幹線や特急列車の指定席特急券も購入可能な券売機(高輪ゲートウェイ駅で2020年9月9日に筆者撮影)

一例を挙げると、JR東日本で新幹線など長距離のきっぷがみどりの窓口で購入された比率は、10年度(平成22年度)が約50%だったが、20年度(令和2年度)には約20%まで減ったという。同社は21年(令和3年)、当時440駅に設けられていたみどりの窓口を、25年(令和7年)には140駅程度まで削減すると発表した。

ネット販売や券売機の利便性向上が課題

ところが、24年(令和6年)4月になってJR東日本のみどりの窓口は大変な混雑に見舞われる。新年度を迎え、新規購入の通学定期券など証明書を提示するために窓口でなくては購入できないきっぷを買い求める人が多かったところに、大型連休を前に多くの人たちが指定席券を購入しようと押し寄せたからだ。

JR東日本は臨時にみどりの窓口を復活させると同時に、削減方針を見直すと発表した。世の中からは「それ見たことか」「拙速な合理化」といった声が上がったし、筆者も確かに削減のペースが速すぎるとは考える。だが、根本的な原因は別のところにあると言ってよい。

全国のJRの主要駅で見られたみどりの窓口も、2010年代以降は数を減らしている。写真の荻窪駅でも24年2月29日限りで営業終了となった(22年10月30日に筆者撮影)

まず、一部の割引きっぷの購入や一部の乗車券の払い戻し、変更など、みどりの窓口に行かなくてはできない取り扱いが多数残されている点を指摘したい。各種割引証や証明書を提示することで買えるきっぷの多くはオペレーターと話せる自動券売機でも購入できるというが、こうした自動券売機の数自体が、みどりの窓口よりもまだ少ないのだ。

また、多くの人はインターネットによるチケットレスサービスを積極的に利用したいと考えているが障壁も多い。JR各社が別々のサービスを提供しており、購入する区間によって使い分ける必要があるのがまず面倒だ。乗車区間が他のJRの管轄にまたがると購入できないこともあるし、他のJRの駅からはチケットレスで利用できないときがあり、ならば発券すればよいのだろうと窓口に行っても対応できないケースもある。

みどりの窓口をめぐるトラブルは、全国一元の組織であった国鉄を分割民営化した弊害が出ているからだろう。大きく分けてJR東日本系とJR東海系とに分かれているインターネットによるチケットレスサービスを統合するのは、JR各社自身では難しいかもしれない。国が音頭を取って大手旅行会社などが共同で全国一元のサービスを提供してくれれば、劇的に改善されるはずだ。

梅原淳(うめはら・じゅん)
1965年(昭和40年)生まれ。大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。「JR貨物の魅力を探る本」(河出書房新社)、「新幹線を運行する技術」(SBクリエイティブ)、「JRは生き残れるのか」(洋泉社)など著書多数。雑誌やWeb媒体への寄稿、テレビ・ラジオ・新聞等で解説する。NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。

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