10年ぶりに公開している「冒険の扉」=兵庫県豊岡市の植村直己冒険館

世界的な冒険家、植村直己さん(1941-84年)が、明治大学山岳部に入部した当時の部室扉が、10年ぶりに兵庫県豊岡市の植村直己冒険館で公開されている。植村さんが米・マッキンリー冬季単独登頂に成功後、消息を絶って今年で40年。同館は「部室の扉は植村さんの『冒険の扉』そのもの。冒険の扉を開ける勇気を感じ取ってほしい」と話している。

扉は木製で縦180センチ、横85センチ。表面や取っ手部分の白い塗料ははげ、全体に傷みが目立つ。大学側が平成19年頃、部室の改修で取り壊す際、廃棄寸前だった扉を冒険館が譲り受けた。

植村さんは昭和35年、明治大学に入学すると山岳部に入り、サブリーダーとして活動。55年発行の山岳部会報「炉辺」に「重い扉の向うに現在の僕があった」と題して「もし、あのとき、部屋の扉を開ける勇気がなかったら、いまの僕は無かったと思っている。たった一枚の、あの重く、ススけたトビラが僕の人生を決めた。一枚開けた部屋の中には、すばらしい友達、そして僕の夢あふれる将来があったのだ」(原文、抜粋)と寄稿した。

植村さんの「冒険の扉」は10年前に没後30年のメモリアル展で初公開したが、その後は同館で保管したままだった。今回は同館の展示内容のリニューアルに合わせて公開となった。

担当者は「植村さんにとって、山岳部に入部したことが冒険の始まりでした。植村さんの未来への思いを大勢の人に知ってもらえたら」と話している。

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