《意外なロケ地から生中継し、視聴者を驚かせた歌謡番組「ザ・ベストテン」は、国民的アイドルへと上り詰めた田原さんをどこまでも追いかけた》
昭和58年3月、名古屋駅に到着した新幹線(岡山―東京)の中で「ピエロ」を歌いました。昭和という時代らしい斬新な企画だったと思います。非常に〝緩かった〟というか、当時はテレビが強かったんだと思います。今じゃ、考えられない。
僕は約2分間の停車中、車両の中でヘッドホンを着けて歌いました。新幹線が再び動き出すと、「あーっ」「ダメだぁ~」と叫んだり、スタジオにいる司会者の久米宏さんの問い掛けに「最高です!」と噴き出したりしながらトンネルの中に消えていくという映像になりました。
僕が乗車した車両には、番組のスタッフらもいましたが、1両借り切るわけにもいかない。他のお客さんたちには大変、迷惑な話だったと思います。
ベストテンはどこまでも追いかけ、ナマで撮る、というスタイル。電波の届くところであれば、かなりの場所まで追いかけてきました。僕の中では、普通のことにも思えましたが、ここまで来るんだ、というのはありましたね。(松田)聖子ちゃんなんて、羽田空港に到着したばかりの飛行機から降りて、機体の前で歌わされたんですよ。
《新潟・苗場のテニスコートでは、最初に松田聖子さんと試合をし、次にコートの向こうから来るボールを次々に打ち返しながら「原宿キッス」を歌うという、ハードな中継もあった》
よく言われる〝口パク〟ではなく、ラケットで一球一球、返球しつつ、左手に持ったマイクで、本当に歌ったんですよ! 今考えれば、よくもそんなことができたなと思います。
聖子ちゃんと僕は、違う番組で苗場に行っていた。ベストテンに出演するため、短パンにはき替えてテニスをしたんです。最初に僕が歌い、コート中央のネットを飛び越えてマイクを渡した後、聖子ちゃんが歌いました。
聖子ちゃんは確か、テニスクラブに入っていましたね。僕は野球部だったので、テニスはあまりしたことがなかったけど、中継では普通にできましたね。
テニスのラケットって、卓球のラケットを大きくしたようなものでしょ? 「サァーッ!」って構えて。僕は大概のスポーツをこなせますから難しくはなかった。もちろん返球するとき、ボールをコントロールできず、〝ホームラン〟になってしまうこともありましたけどね。
《スタジオではあるとき、臨時に造られた雪面をスキーで滑り、カッコよくエッジを効かせてストップ。その後、約10人の女性たちから雪玉を激しくぶつけられながら「ラブ・シュプール」を歌ったこともあった》
すごいよね。やりたい放題。作る側は潤沢なお金をかけてやったんですよ。ちなみにスキーは中学2年生か3年生のとき、親戚のおじさんが長野の車山高原に3、4回連れて行ってくれたので、なんとなくできたんです。ボーゲンスタイルで滑り、慣れてくると、スキー板をシュッ、シュッと寄せられるようになってきましたね。
スタジオでの出演の前に、スキーの練習をする時間なんて当然なかった。いいんです。だいたい、で。基本、運動能力が高かったからそこそこできたわけです。子供時代はよく、駆けっこのとき、周りの子をぶち抜いていました。そんなことが大好き。ちなみに、娘の幼稚園の運動会でも出なきゃいいのに出場し、他の人をぶち抜いてしまったことがある…(笑)。
歌番組では、本当にいろんなことをやらされました。出演者の中で僕が一番多かったかも。歌っているときに水をかけられ、衣装の色が変わったり、マジックをしたり、動物に何かをしたり…。数え切れないほど奇抜なことをさせられましたね。(聞き手 黒沢潤)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。