「馬琴にはシンパシーを感じます」と話す朝井まかてさん=大阪市浪速区(渡辺恭晃撮影)

作家、朝井まかてさんが、江戸後期のベストセラー『南総里見八犬伝』で知られる曲亭馬琴(滝沢馬琴、1767~1848年)を描いた歴史小説『秘密の花園』(日本経済新聞出版)を刊行した。上方から江戸へと移った出版文化の爛熟期を生き、日本の小説の祖となった馬琴の人生に迫っている。

没落、失明乗り越え

馬琴に興味を抱いたのは、葛飾北斎の娘、応為を主人公にした歴史小説『眩(くらら)』(平成28年)で登場させたのがきっかけだという。資料を調べるうちに一筋縄ではいかない人物像が見えてきて、「面白いなあと。いつか書こうと思っていた」と明かす。

没落しかけた武家、滝沢家に生まれ、大黒柱の父が亡くなったことで一家は離散した。物心つく頃から物語を求めていた馬琴は戯作者、山東京伝(さんとうきょうでん、1761~1816年)のもとで学び、版元である蔦屋重三郎の店に奉公して、戯作者の道へ。だが、筆一本で生計を立てるのは容易ではなく、履物商いの家の入婿となって、家の差配もしながら書きに書いた。

朝井まかて 『秘密の花園』 (日本経済新聞社出版)

《筆にまかせて書き散らすんじゃない。書いた後も一晩寝かせてから推敲を重ねて、これだと本当に思えるものを持っておいで》

そんな京伝からの指導のかいあって、馬琴は師匠をもしのぐ江戸随一の戯作者となる。

中でも、里見家の再興を期す八犬士を主人公に勧善懲悪の世界を描いた『南総里見八犬伝』は、28年もの歳月をかけた超大作だ。

江戸の庶民を熱狂させただけでなく、200年の時を経た現代も小説や映画、歌舞伎、人形劇などのジャンルに及び、創作の題材となり続けている代表作だが、途中、幾度も版元が変わり出版そのものが危うくなったことも。完成間近には自身が失明し、亡息の嫁が口述筆記をして完成にこぎつけるなど、翻弄される運命は主人公の八犬士たちと重なる。

草花を愛で、家事も

版木の修正を繰り返す版元泣かせの馬琴だが、執筆の合間には庭の花壇の土をいじり、草花を愛でるという風雅な顔も持っていた。

妻と長男が相次いで病床についたときには、介抱し、飯を炊き、掃除、買い物をこなした。日本一の原稿料を取る男が、こまごまとした家事をそつなくこなすそのさまは味わい深い。

「よくそんな時間があるなと思うくらい家のことをこなしながら書きに書いて、すごい集中力だったと思う」

馬琴は、『南総里見八犬伝』以外にも、『新編水滸画伝』『勧善常世物語』など、数多くの作品を残した。

《わしを書くことだけに集中させてくれ》

《虚構こそが実らせ得るもの。読者は感受してくれるであろうか》

そんな馬琴の独白は、時空を超えた彼自身の生声のような響きがある。

馬琴の時代から続く現代出版、そして小説世界。その歴史の流れを描き出した朝井さん。「今、われわれが書かせてもらっている小説の祖は、やっぱりこの人だなと思う」(横山由紀子)

あさい・まかて

朝井まかてさん(渡辺恭晃撮影)

昭和34年、大阪府生まれ。甲南女子大学卒業。平成20年、『実さえ花さえ』(「花競べ 向嶋なずな屋繁盛記」と改題)で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。26年『恋歌』で直木賞。30年『悪玉伝』で司馬遼太郎賞。著書に『阿蘭陀西鶴』『眩』『銀の猫』『グッドバイ』『類』『白光』『朝星夜星』など。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。