「学校で習ったことのない問題を、どうしてとかなきゃいけないんだろう?」

先日読んだ『勉強ができなくても恥ずかしくない』という小説の一文だ。私は勉強ができるわけでもできないわけでもないがこんな疑問をもつ主人公のケンタくんに共感した。このときケンタは小学3年生。勉強は学校で教えてくれたことが理解できたらいいと思っていた。

ケンタのモデルは著者で何十年も昔の話だ。小学校から中学、高校まで勉強や遊び、受験や家のことなど感じたことが書かれている。

私は小学6年生の夏、受験勉強や学校の勉強に嫌気がさし、友人に勧められた習いごとの夏合宿に行ったことがある。その夜、焚き火をする機会があった。日ごろは家にこもって勉強しかしていなかったので、火をつけるのに時間がかかった。そこで友人が手伝ってくれた。

非常に手際がいいのでどうしてそんなにうまいのかを聞くと「学校の勉強がすべてじゃないだろう。昔の人は毎日、自分で火をつけて生活していたんだよ。生きる術を知るのもりっぱな勉強だと思う」と教えてくれた。

受験勉強に疲れていたこともあってすっかりそちらの「勉強」にハマり、フィールドワークや料理をするようになった。「卓上での勉強」が正しいと思っていた私は気が楽になった。

「学校では勉強以外に、もっと大切なことがいっぱいある」、学校は「家の外にある、自分が生きて行くためのもう一つの場所だ」というのが著者の考えだ。それは、勉強ができるだけでいいの、という問いかけでもある。

学校に通うみんなも「学校の勉強に意味なんてある?」と感じたらこの本を読んでほしい。自分と共通する思いが何か見つかるはずだ。

東京都調布市 吉原聡太(14)

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