食後に口内をケアしたり、たこ焼きや和菓子に刺したりと、地味ながらも食生活を支えているつまようじ。大阪府河内長野市の地場産業で、かつては同市産が国内シェアの9割以上を占めていた。現在、主に食卓で活用されるつまようじは中国産が大半となったなか、国内で製造を続けるのは2社のみという。そのうちの1社で同市に拠点を構える菊水産業を訪ねた。
地場産業定着
「楊枝(ようじ)は仏教の伝来とともに中国から伝わったといわれています」。菊水産業の4代目、末延秋恵さん(45)は話す。
末延さんによると、僧侶が持つ道具の一つだったという。奈良時代は主に僧侶の間で使われ、平安時代には貴族に、室町時代には庶民に広まった。中国ではヤナギの木、「楊柳」を使用していたため、楊の枝という意味で「楊枝」の名が付いたという。
諸説あるが、河内長野市の地場産業となったのは明治のころ。材料となる「クロモジ」の木に恵まれていたため、農家の副業として定着したとされる。
その後、材料はクロモジから北海道などが産地のシラカバに代わるが、製造は河内長野市の業者が担い続け、1980年代には国内シェアの9割以上を占めていたという。
しかし、90年代以降は安価な中国製の輸入が本格化。現在流通しているもののほとんどは中国製で、国内で一般的なつまようじを製造しているのは2社となった。同市内に製造拠点を置くのは、菊水産業のみだ。
丁寧な国産品
同社は北海道産のシラカバを原料として使用している。現地の企業がシラカバの原木を仕入れ、皮をむき、あくぬきや消毒のために煮沸。約30センチほどの細い棒(丸軸)に加工して、菊水産業に出荷する。
河内長野の同社工場が担当するのは、その先の工程だ。まず、丸軸を機械で6センチずつ5等分にカット。その後、先端を削ってとがらせ、上部に溝を付ければ完成だ。
出荷前の検品は目視で行う。先がとがっていないものや溝が付いていないものは出荷しない。大半の工程はシンプルだが、木材を取り扱うため、湿気は大敵だ。水分を含むと削ることができなくなるため、梅雨のシーズンは入荷後すぐに加工するよう心掛けているという。
火災乗り越え
創業から60年超。河内長野市内で、事実上唯一の一般的なつまようじ製造業者として地場産業をつないできた菊水産業だが、近年大きな危機を迎えたことがあった。
末延さんが4代目として社長に就任した令和3年。事務所、倉庫、作業場が火災で全焼したのだ。かろうじて工場は無事だったものの、すぐには事業が再開できない状態だった。WEBデザイナーや介護福祉士を経て「国産つまようじをなくすわけにはいかない」との強い思いから家業に入った末延さんはめげなかった。
すぐにクラウドファンディングを立ち上げ、資金支援を求める。メディアへの露出や交流サイト(SNS)でのアピールも功を奏し、予定額の4倍以上の1200万円以上が集まった。
SNSでの情報発信も有効に活用する。同社のX(旧ツイッター)でつまようじの製造工程や顧客への返信をこまめに投稿し、フォロワーは8万人以上。暇さえあれば、投稿のネタを考えているといい、つまようじ産業の知名度向上にも一役買っている。
情熱の根底にあるのは、つまようじを持続可能な産業にしようという執念だ。「しんどいわりに夢がない仕事になっている」。後継者不足、経営難…。つまようじに限らず、地場産業を取り巻く状況は厳しい。未来に残すためには、その可能性を世に示すことが重要と考えている。
「続けるためにはもうからないと。やりたいと思える夢のある仕事にしないとあかんと思う」。つまようじから地場産業の未来を切り開こうと意気込む。
頭の溝はなぜある?
つまようじの上部、持ち手部分に付いている「溝」。なぜ溝があるのだろうか。調べてみると、意外な伝統産業品がヒントとなり生まれていた。
菊水産業の末延さんによると、溝の起源は昭和30年代にさかのぼる。木材をつまようじの長さにカットする際、切断面にささくれができることがあり、断面を焦がすことで解消していた。
ただ、焦げの部分は汚れのようにも見えてしまう。製造業者が合同で対策を協議。「頭が黒い『こけし』に見立てて溝を付ければ、デザイン的にいい感じになるのでは」となったという。溝は「飾り」だったのだ。
検品では、先端部に問題がなくても、溝の不良で廃棄されるつまようじもあるという。そこで菊水産業は昨年11月から、インターネットで個人向けに直売している商品は溝のないものに切り替えた。一方、伝統をつなげるためにも、卸売りで販売しているつまようじには溝を付けている。(木津悠介)
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