太平洋戦争中、捕虜の日本兵がオーストラリアの収容所から集団脱走を図った「カウラ事件」の舞台となった同国東部カウラ市の市長が18日、交換留学事業を行っている成蹊高(東京都武蔵野市)を訪問し、教職員や生徒らと交流した。

事件では1944年8月、捕虜収容所の日本兵約千人が脱走を試み、オーストラリア兵による銃撃や自殺で231人が死亡した。カウラ市は戦後、死亡した兵士らのために日本人墓地を整備。同様の悲劇を防ぐために当時の市長が日豪両国の若者の交流を発案し、1970年から成蹊高と地元の高校が相互に留学生の受け入れを行っている。

訪問したルース・ファーガン市長は、事件で命を落とした日本兵について「彼らは敵ではあるが、その魂には敬意を表さなければならない」と述べた。仙田直人校長は「未来ある若者が(事件の歴史を踏まえ)両国の発展のために尽くすことが大事」と語った。

カウラ市では事件から80年となる今年8月、犠牲となった兵士らの追悼行事が開かれる予定。

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