「温故創新の森 NOVARE」の旧渋沢邸の前で(東京都江東区)

ゼネコン大手、清水建設の社長である井上和幸さんは技術者、営業、経営者の目線で建築業界に携わってきた。一貫して探求してきたのは、ものづくりの心だ。約30年、自社の相談役を務めた故・渋沢栄一の自邸を新拠点に移築したのも、その精神を次代へ伝えるためだ。

いのうえ・かずゆき 1956年東京都生まれ。81年早稲田大学大学院で理工学研究科建設工学専攻(現・創造理工学研究科建築学専攻)で修士課程修了後、清水建設に入社。2016年4月から現職。手先が器用で、工作が得意。30〜40代のころに住んだ横浜市の自宅では2人の子どもと木製のテラスを庭先に作ったという。

新拠点に込めた「ものづくりの心」

東京都江東区のJR潮見駅。改札を出るとすぐガラス張りの壁に囲まれた巨大な建物が目に入る。清水建設が2023年度に完成させた人材育成とイノベーションの拠点、「温故創新の森 NOVARE(ノヴァーレ)」だ。

技術者研修や研究開発を担うオフィス棟が並ぶ敷地の中心に、木造建築の邸宅が鎮座する。かつて同社の創業2代目・清水喜助が建設を手掛け、渋沢栄一やその子孫が住んだ旧渋沢邸だ。数度の移転を経て青森県に置かれていた建物を、解体・修理して移築した。

延べ床面積約2万2300平方メートルの施設を建設するのに投じた費用は総額500億円。「今日投資して来年リターンが来るとは考えていない」と井上さん。東京・京橋の本社とは別に巨大な複合施設を作り上げたのは、人的資本に対する究極の投資だ。「50年、100年の単位で考え、会社が持続的に継承されるための『人財』をつくる施設だ」

旧渋沢邸の移築を含め、その背景にはものづくりの心をつなぐという強い思いが詰まっている。

子供時代から工作好き、強みを生かす施工管理へ

ものづくりに目覚めたのは子供のころ。中学の授業で木製の椅子作りに熱中するなど、昔から工作好きだった「ものづくり少年」。早稲田大学で建築の世界を志す同期たちのデザイン力の高さに圧倒され、「ものづくり少年」という自身の強みを生かせる分野を模索した。入社時に建築の施工管理部門を志望したのはこのためだ。

技術者としてのキャリアで真っ先に思い出すのは入社して初めて配属された現場だ。配属先である電機メーカーの研究所が完成する直前、仮設の足場を解体したら外壁に吹き付けた塗装が波打っていた。視察に来た支店の部長は「こんなのうちの仕事じゃない」と一喝し、作業をやり直させた。「出来栄えや品質に対して謙虚にならないといけないと勉強させられた」

約20年に及ぶ横浜支店勤めでは、ビルや学校の工事など、技術者としてあらゆる経験を積んだ。「現場経験を重ねるほど、失敗も含めて発見がある」。教科書に書かれていることと現場で実際に起こること、発注先の職人らが手掛けてくれる仕事の内容が、徐々に結びついてきた。

営業部門に異動、顧客を振り向かせる難しさ学ぶ

40代になり、品質をコストや工期、安全と両立させながらどう実現するのかを一心に追い求めていた中、転機が訪れる。本社の営業部門へ異動し、官公庁の入札を手掛けることになったのだ。当時は新しい手法であったPFI(民間資金を活用した社会資本整備)の仕事も経験した。

顧客の期待に応えて汗をかく工事部門とは異なり、営業部門では顧客に振り向いてもらう難しさを学んだ。「顧客や社会にとって本当に必要な建物やインフラ、それを使って実現したいことは何なのか。そのためには工事も含めて何を提供しなければならないのか、探求しなければならない」

不祥事を機に「論語と算盤」を社是に格上げ

社長就任後、リニア中央新幹線の建設を巡る談合に自社が関与していた問題に直面する。その時に、経営の基本理念だった渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」を社是へと格上げした。渋沢は約30年、清水建設の相談役として経営指導に当たり、「正しい商売とは何か」を繰り返し説いた。不祥事を受けて経営の道筋を一から探るなか、その言葉が今まで以上に心に響いた。

旧渋沢邸の移築を検討し始めたのもこのころ。青森にあった旧渋沢邸に足を運び、最新技術で修復する構想を練った。「清水喜助が作ったこのような建物で現存するものは他になく、我々にとっては非常に大きな宝物」。建築様式の代表作ではなく、決して華美でもない。だが柱や天井など随所に喜助の工夫が見て取れる。「ものづくりの心」を学ぶにはうってつけの教材だ。

旧渋沢邸は現在、一般公開に向け準備中だ(東京都江東区)

新拠点に旧渋沢邸を移築し、教材に

折しも都内の技術開発拠点が手狭になり、拡張を図る必要があった。株主から「清水建設は歴史的価値のある多くの資料を所蔵しており、一般に広く公開すべきではないか」との声もあがり、展示施設の構想も温めていた。

そこで旧渋沢邸の移築と合わせて、人材育成や研究開発などの拠点を集約する計画が動き出した。「創作する・新しくする」というラテン語のNOVAREと名付けたのは、自身が掲げる「超建設」というキーワードを実践する場所でもあるからだ。建設事業の枠を超え、社会や顧客が求める新しい価値を提供するという意味だ。

新しい価値を顧客に提供すれば、自社も利益を享受し、成長する。渋沢の教えを借りれば「公益第一、私利第二」の実践にほかならない。旧渋沢邸は現在、一般公開に向け準備を進めている。渋沢にゆかりのある品と建物に触れながら、広くその思想や足跡に思いを馳(は)せられるようにしたい。

失敗から多くを学ぶ

NOVAREは24年度、全面稼働を始めた。本当の活用はこれからだ。一角には研修施設「NOVARE Academy ものづくり至誠塾」がある。ビルの鉄骨や鉄道高架橋、地下などの工事の実物大の構造体である「モックアップ」を備える。施工時に見つけなければならない間違いをわざと忍ばせ、実践的に失敗やミスを社員が学べる研修施設だ。失敗から多くを学んだ、若き日の自身の経験とも重なる。

目指すのは建設の技術やノウハウを継承していくことだけではない。成功と失敗を数多く経験した結果、知識や技術にとどまらない人格や、ものづくりの心を学ばせてもらった。この心を、社員たちにつなげていきたい。

いつも自分に問い続けるのは「存在効用」という4文字。単に「利用価値のある人間」ではなく、周囲から「あの人のためなら頑張ろう」と思ってもらえる人間、存在になるという意味だ。それを次代の社員たちにも伝えたい。目指す目標はずっと先にある。

浄瑠璃「河東節」の名取に


経営の傍ら、客席から「観(み)ること」が気分転換のひとつ。磨き上げられた世界に触れる感動は他では得がたい。幼い頃から好きだった野球観戦から映画、相撲、ミュージカルとジャンルを広げてきた。妻も大好きな歌舞伎は2人でよく足を運ぶ。
そんな「観る側」の自分が舞台に上がるとは思いもしなかったが、2020年に浄瑠璃の一種である「河東(かとう)節(ぶし)」の稽古を始めた。「歌舞伎座を施工したのは当社。社長就任の折に『社長なら(舞台に上がる)河東節をやらないと』と勧められたのがきっかけ」だという。人間国宝である山彦千子(やまびこせんこ)先生のもとで月3回、1回30分の稽古を始めて4年ほどになる。
謡(うた)いの経験もなく練習は大変だったが、以前より喉の調子もよくなった。22年には市川團十郎家の歌舞伎十八番のひとつ、素人衆が出演できる演目で初舞台に臨んだ。後ろの御簾(みす)の中から見える舞台の景色は素晴らしかった。今ではすっかり虜(とりこ)だ(上の写真)。
今年「名取(なとり)」と呼ばれる河東節の語り手(謡い手)としてのお墨付きをもらうこととなった。しかも、常日頃から稽古をして名を許される「本名取」。5月下旬に日枝神社で名取式があり、山彦先生から名取状(下の写真)を直接手渡しでいただいた。「まだ修業が足りない自分でよいのだろうか」と思う半面、うれしさはひとしおだ。

愛犬との交流が癒やし


日常的な癒やしのひとときは、愛犬の「あい」との交流だ。元の飼い主だった長男の海外留学に伴って預かることになったトイプードル(下の写真)で、出会った最初からよくなついてくれた。帰宅時のドアのカギをあける音が聞こえると、走って玄関まで出迎える様子が愛くるしい。言葉も聞き分けるのか、「イチゴ」などと好物の果物の名を口に出すと冷蔵庫の前に飛んでくる。
自宅周辺での毎朝の散歩は休日のほか、早朝に会議がある日を除いて平日も続けている。時間がある日は妻と東京・青山の神宮外苑まで足を延ばす。近くにペットと食事ができるカフェがあり、お気に入りの場所だ。

橋本剛志

井上昭義撮影

[NIKKEI The STYLE 2024年7月21日付]

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