リニア中央新幹線の開業が当初の27年から「34年以降」の見込みとなった。東京・品川―名古屋が40分で結ばれるという「夢」を見つつ、沿線地域の住民が向き合っている「現実」とは。リニア中間駅が建設される現場を歩いた。【高橋昌紀】
艶やかな濃紺色の格子じまに染め上げられた布一反。長さ13メートルほどにもなる着物用の生地が、染め台の上を工房の奥へすらりと広げられていた。「使われている糸もいい。国産のシルクは本当に貴重ですよ」。台に視線を落とし、型染め職人の筒井克政さん(76)が目を細めた。
長野県飯田市の上郷地区は、染色作業に重要な伏流水に恵まれている。「筒井捺染(なっせん)工場」は明治30(1897)年の創業で、筒井さんは4代目。2000種類を超える貴重な「伊勢型紙」を受け継ぎ、江戸小紋の伝統を守り続けてきた。
ただ「着物業界は危機的状況にある」と嘆きは深い。日本人の生活習慣の変化はもちろん、最近では新型コロナウイルス感染症の影響による茶事の簡素化、猛暑の影響などで、着物離れが加速したという。
そしてもう一つ、心配事がある。「リニアのために、家屋と工場を移動させなければならないんです」
リニア中央新幹線の開業に向けて、上郷地区の周辺では本線と中間駅、駅前広場の建設、国道・県道の拡幅が予定されている。JR飯田駅がある市中心部とは約4キロ離れており、観光需要などを取り込むにはアクセス面での開発が欠かせない。市によると、各種の工事に伴う住宅移転の対象は計約190世帯。国道・県道の拡幅事業を除き、契約率は既に9割(2023年度末)という。
リニア駅の建設予定地は、「筒井捺染工場」から徒歩5分足らずの距離にあった。「遺跡の発掘調査を行っています」との立て看板。黙々と土を掘る作業員たちがいた。「高架橋をつくっています」との立て看板にもぶつかった。工事期間は「2026年3月31日」となっていたが、柵の向こうに構造物は見えない。人や重機の動きもなかった。
雑草に隠れるように所々、コンクリートの建物基礎がのぞいていた。部屋、浴室などの機能ごとに区切られている。ここには最近まで、誰かが確かに暮らしていたのだ。それもやがては取り壊されるのだろう。
県道の拡幅に伴い、筒井さんは家屋と工場を約8メートル内側にずらさなければならない。特に工場は特殊な構造。建築業者にアドバイスを求めたところ、移転費用は補償金では足りず、2億円以上の自己負担が必要になるかもしれないことが分かったそうだ。
反物の受注は最盛期の10分の1。インクジェット染色による大量生産品にも押されている。100年以上続いている家業だが、潮時ではないか。
しかし、娘夫婦と職人1人の従業員を抱えている。さらには2人の孫。まだ中学2年生だが、型染めに興味を示している。「センスが良くてね。やたらと仕事を手伝いたがるんですよ」。筒井さんはうれしいような、困ったような笑みを浮かべた。
リニア中央新幹線
時速500キロ超の超電導磁気浮上方式の車両で東京と大阪を最速67分で結ぶ。東海道新幹線の経年劣化や大規模災害に備えて計画された。総事業費は概算で9兆300億円。事業主体のJR東海が自己負担するが、国の財政投融資(3兆円)を受けている。当初は東京・品川―名古屋間(最速40分)の先行開業を2027年としていたが、JR東海は24年3月に「静岡県工区の工期に10年は必要」と表明し開業は34年以降の見込みとなった。
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