危険と隣り合わせで任務に当たる外国漁船の違法操業対応など領海警備の道を長く歩んできた。1日付で第3管区海上保安本部(横浜市)の本部長になった宮本伸二さん(59)は就任記者会見で、自身の経験に触れながら海洋権益や海上安全の確保、災害対応を強調。一方で、勤務しやすい職場環境を重視する姿勢も打ち出した。強い組織を維持するためには終身雇用にこだわらない若手をつなぎとめ、スキルを伝承する必要性があると痛感している。
離職の原因は
「最後まで海上保安庁で勤め上げたいと思っている人は?」。前任の第7管区海上保安本部(北九州市)の本部長時代、目をつむり、うつむく若手職員約10人にこう問いかけた。手を挙げたのは、わずか3人ほどだった。現実を突きつけられ、「最後まで頑張ろうと思ってもらえるかが大きな課題だと感じた」。
7管本部長としてすべての拠点を回り、それぞれで幹部、中堅、若手の3グループと面談し、不満などを尋ねた。転勤の頻度などに職員らが負担を感じ、離職の原因になりうることを知って人事部門に対応を指示し、ベテランたちには若手育成の重要性を説いて回った。
今月11日の就任記者会見では「福利厚生」にも言及しながら「安心して業務に取り組める環境作りも必要だ」と力説した。
アドレナリン全開
同庁の違法操業対策官などを歴任して領海警備の経験を多く積んできた。
緊迫した状況として思い出されるのは、平成6年ごろ、長崎・対馬周辺で韓国、中国の漁船の違法操業に対応する巡視艇で機関長を務めたときだ。夜で視界が悪く、波の状況もつかみにくい中、石や乾電池を投げてくる漁船に警告しながら巡視艇を接触させ、乗組員が船内に飛び込んでいった。
追跡するためスピード重視の船体はアルミで造られ、当時は今と違って衝撃に備える防舷材も手作りとなり、船体が損傷することは珍しくなかったという。「乗組員たちはテンションを上げ、アドレナリンを出し切るような形にしないと、恐怖に勝てない状況だった」。熱くなる周囲とは対照的に冷静になることを意識し、機関長として状況把握、エンジンの操作などを行った。
多数の中国漁船
第11管区海上保安本部(那覇市)の警備救難部長だった28年8月には沖縄・尖閣諸島周辺に中国漁船200~300隻と、複数の中国公船が集結したため対応に当たった。漁船に続き公船も領海侵入を繰り返すことは「それまでになく、まったく意図がつかめなかった」。巡視船が漁船に近づくと公船が割り込むため、接触、衝突を避けながら追い出すという難易度の高い指揮をとった。
この年には管内で米軍のオスプレイ不時着、当時としては過去最大量の覚醒剤押収などもあり、「(部長時代の)2年間にそれまで経験したことがないことを一気に経験し、それが今に生きている」と振り返る。磨いてきた対応力を生かし、経済、国民生活を支える首都圏の海域を守っていく。(高久清史)
みやもと・しんじ 昭和39年生まれ、千葉県出身。63年3月に海上保安大学校を卒業。横浜は3回目の勤務で、東日本大震災の際は横浜海上保安部の巡視船の機関長を務めており、福島県沖で被災者の捜索などに従事した。小学生時代にプロレス観戦が好きになったといい、挑戦の大切さを伝えるアントニオ猪木さんの引退セレモニーの詩に感銘を受け、職員たちに紹介している。好きなレスラーはジャンボ鶴田さん。
国際犯罪対策、特殊救難の拠点も
第3管区海上保安本部は茨城県から静岡県にかけての沿岸、日本最南端の沖ノ鳥島周辺など約450万平方キロの海域を管轄している。職員数は約1500人に上り、船艇64隻、航空機8機を保有する。
3管には全国を対象とする拠点もあり、国際組織犯罪対策基地は密輸などの国際組織犯罪の摘発で各地の警察などと連携する。羽田特殊救難基地には特殊救難隊6隊が所属し、転覆船からの人命救助、危険物積載船の火災などに対応する。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。