「オーナメンタ」中のプフォルツハイム大学学生や卒業生の展示。自由な素材選びが印象的だⒸPhoto: courtesy of Gonçalo

ドイツ南西にある人口13万人弱の小さな都市、プフォルツハイムは18世紀からジュエリーや時計の街として知られる。宝石ディーラーや素材のサプライヤーなど様々な業種が集まり、現在も国内の宝飾品の大半はここで作られる。街は時代とともに変化し、伝統的な手工業の今後のあり方を模索する。

街の始まりがうかがえるのが、中心部にある「ヴァイゼンハウス(孤児院)広場」。1768年、バーデン辺境伯カール・フリードリッヒはここに宝飾と時計造りの学校を開き、街の孤児を集めた。金細工の専門職「ゴールドスミス」として育成することで彼らに職を与えただけでなく、その高い技術がジュエリー産業発展の礎となったのだ。

学校は場所こそ移転したが、なお健在だ。ゴールドスミスはテーブル1台で仕事のできる安定した職ともいえる。何世代もジュエリー産業で働いてきた家の子供が中学校を卒業後「この街にずっと残りたい」と迷わず進学することもあるという。

ゴールドスミス学校での実習風景。シルバーをそれぞれが選んだモチーフに造形する作業に、生徒らが集中する=山田梨詠撮影

宝石磨きなど特定の訓練を続けて専門職人を目指す生徒もいれば、マイスターの国家資格を得たり、自分の工房を持ったりする道もある。「ジュエリー作りの道具が校内で整っていることはもちろんのこと、必要な素材などは半径1キロ以内でそろう」(校長のミヒャエル・キーファーさん)のはジュエリーの街ならではだ。

ゴールドスミス学校は歴史ある技術を次代に継承するだけではない。デザインを体系的に学ぶといった教育を通じ、生徒が作家としての創造性を探求することも重視している。今では日本も含む20カ国ほどから生徒が集まる。

細い金でできたネックレス、伸縮性のあるブレスレット、宝石を埋め込んだ部分が回るリングなど、ウェレンドルフの製品は高い技術が生きる=吉川秀樹撮影

世界中に愛好家やコレクターのいるドイツの高級宝飾ブランド、ウェレンドルフもこの街に本社を置き、4代続くオーナー家の後継者らはゴールドスミス学校で学んできた。弟とともに経営にあたる最高経営責任者(CEO)のクリストフ・ウェレンドルフさんは「生まれた時からゴールドスミスの血筋なので、実際に教育を受けることは必然だった」と話す。

「精密な技術を持つことと、哲学や音楽などで知られるドイツのロマンチックさ。この2つが我が国のゴールドスミスの大きな特徴」とクリストフさん。伸縮性があり、留め金なしでも付け外しできるブレスレットなど、ウェレンドルフのジュエリーは巧みで高度な技術が施され、数々の特許も取得している。

オーナー一家のストーリーを重視するのもこのブランドの特徴だ。18金を糸のように細く撚(よ)り上げて作ったネックレスは「絹のようにやわらかなネックレスが欲しい」という家族の声に応えたもの。「ジュエリーはデザインと素材の価値で評価されがちですが、ゴールドスミスとして学んだ私は、手触りや、心にどう響くかが重要だと理解しています」とクリストフさんは言う。

ウェレンドルフCEOのクリストフさん=吉川秀樹撮影

この街でジュエリー作りに携わるのはゴールドスミスにとどまらない。そして表現は日々アップデートされ続けている。プフォルツハイム大学ジュエリー科では今、ジュエリーデザインを学ぶ上で基本となるシルバーやエナメル工房以外にも、3Dプリンターやオーディオ、デジタル化のための設備など最新の環境がそろう。生徒との対話を重視し、多種多様な発想やクリエーションを育てているのだと、20年間教壇に立つ米国出身の教授、クリスティーネ・レーデケさんは言う。今年度からは修士課程も始まった。「修士課程に入学する者はそれぞれにノウハウと経験を持っており、刺激的で成熟したテーマに取り組んでいます」とレーデケさん。

卒業生はファッション、IT、演劇や映画など様々な業界に進む。毎年3月にミュンヘンで行われる、現代的デザインのジュエリー公募展「シュムック」で同大学を卒業した作家の作品が多く選出されているのも、時代を反映したオリジナリティーのある作家がこの大学から次々と生まれているからだ。

ジュエリーの世界で大きな存在感を持つプフォルツハイムは、森に囲まれた小さな街だ=山田梨詠撮影

今年は1989年に開催されたジュエリーとメディアアートのイベント「オーナメンタ」が街によみがえった。世界20カ国以上からアーティストを招き、展示、レクチャー、ワークショップなどが行われた伝説的なイベントは30年以上の時を経て、7月から9月までプフォルツハイムと周辺都市で開かれた。気候変動やITなど社会問題を問いかける5つのテーマに分かれ、地域の様々な業界のスポンサー企業と組んだ出展者らがユニークな展示を行った。準備には街ぐるみで5年をかけた。

ゴールドスミス学校の展示会場は、かつての公衆浴場。「データの泉の浴場」と題し、デジタルデトックスと水をテーマにシルバーなどを使った作品を発表した。大学のジュエリー科は現代の愛情のあり方をテーマに、婚約指輪を使ったインスタレーションなどを行った。スポンサー企業は高級ブランドジュエリーの製造等を手がける、100年超の歴史があるビンダーグループだ。企業はアーティストのアイデアに対し、作り方などの知見面で協力もする。「産業とクリエーションの新たな架け橋という試みはスタートしたばかりで楽しみ」と話すレーデケさんは期間中、学生や卒業生の作品を発表する企画展も開いていた。主催団体は「今後も5年周期で開催を続けたい」と言う。

「ジュエリーは世界中で作られているが、産業から芸術まであらゆる分野でこれほど専門性を発揮し、国際的な影響力を持つ都市はほかにはない」とレーデケさん。地域を挙げてジュエリーに携わることでコミュニティーが活性化し、マグネットのように優秀な人材がさらに集まる。プフォルツハイムは伝統的な技術と芸術、イノベーションが共存するジュエリーの街として、さらに進化していくだろう。

ライター 浦江由美子

[NIKKEI The STYLE 2024年10月20日付]

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