戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれた日本は、さまざまな制度が抜本的に改革、解体された。警察も国家警察制度を改め、一定規模の市町村に自治体警察が設置された。その過程で、大阪にも一時「警視庁」が誕生。紆余曲折を経てたどり着いた現行の警察制度は今年、施行から70年を迎える。(大渡美咲)
昭和22年に制定された旧警察法はそれまでの国家警察制度が改められ、国家地方警察と市町村の自治体警察の2本立てとなった。すべての市と人口5千人以上の町村は「自治体警察」を持ち、その他の地域は国の機関「国家地方警察」の管轄となった。
警視庁は内務省の組織として都内全域の治安を守っていたが特別区(23区)を管轄する自治体警察となった。警察の名称や運用は自治体の裁量で決められるため、東京都議会で警視庁の名称を引き継ぐことが決まった。
元警察大学校長で、京都産業大の田村正博教授(警察行政法)は「都民の代表である都議会が警視庁という名称の存続を望んだ。民主的な背景がある」と話す。
その流れの一環で、大阪にも昭和24年に自治体警察として「大阪市警視庁」が誕生。初代警視総監を鈴木栄二が務めた。
一方で、1605にも上った自治体警察はさまざまな問題が浮上。市町村の範囲を超えた犯罪に対応する能力が十分ではなく、組織の細分化で対応能力の乏しい警察もあった。組織が重複し非効率さも目立った。
何より自治体を悩ませたのは費用の問題だ。小規模な自治体にとって、警察の維持費は重くのしかかった。警察経費が全体の2割に上るところもあり、町村の多くは自治体警察を返上した。田村氏は「日本のような規模の自治体では市町村警察は実情に合わなかった」と指摘する。
昭和26年9月、サンフランシスコで日本と連合国の講和条約が調印され、翌27年4月、日本の主権が回復。施行後7年で8回の改正を繰り返してきた旧警察法も全面改正されることとなった。
多くの市町村は警察を失うことへの反発は少なかったというが、大都市は市警察の存続を強く主張したという。大阪や名古屋、横浜などでは都市警察存続運動が起こったという。警察法改正案提出後には、国会内で乱闘も起こるほどだった。
29年7月1日に現在の警察法が施行され、警察庁と都道府県警察が誕生。警視庁も6年ぶりに東京都全域を管轄する新しい警視庁として再出発し、当時の内閣官房副長官、江口見登留が新警視総監に任命された。
田村氏は「現行法は国家警察であるときと同じような合理性がありながら、自治体警察のメリットもあり、その両方が享受できる世界でも類をみない制度になっている」と評した。
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