浅田次郎さん


2009年12月10日付の産経新聞に掲載した連載「話の肖像画」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。

――現在、団塊世代の大量退職期を迎えています

浅田 団塊の世代は、さっさと辞めて好きなことをやっている人が多い気がします。そば打ちやそば屋を始める人が多いのは、いかがなものかと思いますが(笑)。団塊世代、全共闘世代はみんなで同じことやっていたから意外とオリジナリティーに欠けていて、自分固有の考え方がない。自分ではオリジナルと思っているかもしれませんが。それでも、自分の好きなことに打ち込めるというのは、幸福ですよ。

――高齢社会が到来し現役世代の不安も高まっています

浅田 僕は子供に金を残そうというのは間違いだと思います。僕の父はびた一文残してくれなかったけれど、それで良かった。もし大金を残されたら、その分、力をそがれていたし、小説も書かなかった。僕も自分の子供には、道は付けてやってもお金は残さないつもりです。西郷隆盛は「児孫(じそん)(子孫)の為(ため)に美田を買わず」と言いました。道は作るが、財産は残すべきでない。その時代の人間に苦労させるべきだという意味です。これは身近な例えにも適用できますが、明治時代を作った人間の言葉と思うと、大変重い言葉ですね。

――再来年で作家デビューから20年です

浅田 僕は10代のころから作家になりたかったけれども、デビューしたのは40歳。今考えれば、いろんな仕事をしている間にたくさん書くこと、読むことができたので、デビューはころ合いでした。会社を経営していたころは、部下たちをよく観察して、気持ちを斟酌(しんしゃく)しようとしていました。その経験は創作に役立っていると思いますね。

――組織の中での個人の描写は見事です

浅田 ただ小説にとっては、経験によって失われていくものもあります。例えば三島(由紀夫)さんもそうですが、早熟な作家は世ずれていないだけに、汚いものを見た人には書けない、玉のように美しい小説を書くことがある。だから経験を小説の世界で生かすのは本来、邪道かもしれません。でも、経験は経験なりの説得力はあるのではないかと、自分の創作の仕事には満足してもいます。人生、どこでどうなるか分からない。30、40代で「もはやここまで」なんて思うことはない。人生の大逆転はいくらでもあるし、逆にうまくいっている人でも、一寸先は闇ですから。

(三品貴志)

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