俳優の真田広之さん=2004年8月31日、東京都千代田区


2004年9月20日付の産経新聞に掲載した連載「話の肖像画」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。

《中国の大監督、陳凱歌(チェンカイコー)の新作『無極』(年末公開予定)のハードな中国ロケも終わりに近い八月後半、北京市のホテルに現れた日焼けした顔は精悍(せいかん)さがましていた。ハリウッド映画『ラスト・サムライ』出演に続く中国映画への挑戦。言葉・文化の壁を承知で世界へ切り込み日本の俳優魂をみせつける》

──中国(本土)映画は初めてとか。ヒロインの愛を争う三人の英雄の一人で、誇り高い大将軍の役どころ。引き受けられたきっかけは?

真田 『ラスト・サムライ』の撮影の仕上げでロサンゼルスにいたときオファーがありました。でも、中国映画はまったく初めてですから、脚本が面白そうだというだけで引き受けるのはリスクが大きい。で、北京にいって直接、陳監督に会って…。最初は(主人公の)奴隷役を日本人で探していたらしいのですが、「将軍は君しかいない」とくどかれました。それで確信が見え、この人となら一緒に仕事ができるのではないか、と。三回目に会ったとき、じゃあやりましょう、となったのです。

起伏に富んだ役なので、難しくはあるのですが、身につけてきた俳優としてのスキルが全部投入できるやりがいのある役ですね。

──奴隷役は韓国スターの張東健(チャン・ドンゴン)。公爵役が香港の謝霆鋒(ニコラス・ツェー)。日中韓豪華キャストですね。言葉は?

真田 中国語の基礎があるわけじゃないから、毎日、受験生みたいな気分でした。中国語のセリフを丸暗記です。でも覚えて次の日、いきなりセリフが変わったりして、「山がはずれた受験生」みたいですよ。陳監督の場合、現場で俳優とセッションしてアイデアを広げる人なんで、脚本がどんどん変わるんです。でも、何度もやっているうちにピンイン(発音記号)無しで台本が読めるようになって、異国語を話しているというプレッシャーも減りましたね。

──中国ロケは相当ハードだったとか。クランクインが三月でしたね。

真田 八月終わりまでです。北京のスタジオで始まって広州、雲南、途中で北京に戻って、内モンゴルで一カ月弱。また北京。現場がとにかく暑さ寒さとの戦いですし、寒暖計が六三度を指していたこともありました。

将軍役は映画のテーマになっている赤い甲冑(かつちゅう)をつけるのですが、それが重くて暑くて。かぶとは鉄でできていて、直射日光でホットプレートみたい。それで朝から晩まで立ち回り。衣装は何度も変えますが全部塩ふいてましたね。食事は毎日、中華。おいしいとかまずいとか言っている余裕なくて。食べないと体がもたない。

──ハリウッド映画の撮影とは違いますか?

真田 陳監督は中国では特別な人。軍隊が八百人くらい毎日エキストラで動員されるんです。日本ではこんなことできるのって故黒澤明監督ぐらい? 監督が面白がって現場で子供のように何かを生み出そうとしているアーチスティックな部分と政治的な部分と両極を持ち合わせていて。あと、日本人にとって中国は欧米以上に解釈が難しい。顔つきも近いし、もっと簡単だと思ってたんですけど。

(福島香織)

真田広之

さなだ・ひろゆき 昭和35年10月、東京都生まれ。5歳で千葉真一主演映画「浪曲子守唄」に本名・下沢広之の名で子役デビュー。13歳から殺陣、空手、乗馬、日本舞踊など学び、若手のころはスタントもこなすアクション俳優として人気を博した。「麻雀放浪記」(59年)主演で文化庁芸術祭選奨文部大臣賞受賞。以降は演技派としてテレビ、映画、舞台で活躍。ハリウッド映画「ラスト・サムライ」(2003)での好演で世界から注目されている、今日本で最も旬の俳優の一人。

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