カンノーリ(手前)とボンボローニ(奥)は、注文後にクリームを絞る。左はシチリア・パレルモ伝統のクリスマス菓子ブッチェラート。ラードを練り込んだ生地で、ドライフルーツやナッツ類、ジャムを合わせたペーストを包み、王冠型に焼く(東京都中央区の「リートゥス」)

スイーツブームの時代といわれる平成期に日本で世間をにぎわせた元祖といえば、1990年のティラミスだ。しかしイタリア菓子はその後、パンナコッタを除き、注目度が低かった。華やかな見栄えが求められるスイーツ界で、地方色が強い素朴なイタリア菓子は目立たなかったからかもしれない。

だが、2021年のマリトッツォがきっかけとなりイタリア菓子は再び脚光を浴びた。そしてその静かなブームは続き、現地で修業を積んだパティシエの専門店が人気を集めている。

代表格が東京都中央区にある「リートゥス」で、ラテン語で「渚(なぎさ)」を意味する。看板はイタリア半島の西南に浮かぶシチリア島をかたどり、看板菓子は「カンノーリ」だ。薄く伸ばした小麦粉の生地を筒状に丸めて油で揚げ、リコッタチーズに砂糖を混ぜただけのシンプルなクリームをたっぷり詰める。ザクザクの皮ととろりとしたクリームの対比が鮮やかで、強烈においしい。

カンノーリの起源は9〜11世紀のシチリアに遡り、いまでは全国どこにでもあるイタリアの国民的菓子になった。シェフの塩月紗織さんによると、ティラミスは1970年代に北部べネト地方で生まれた新しい菓子で、イタリアでは日本ほどポピュラーではないそうだ。イタリア人は生クリームに対して油っこいというイメージを持ち、日本のショートケーキのようにたっぷり使った菓子は好まれない。マリトッツォに至っては、発祥地のローマ以外では聞いたこともない人が大半という。

塩月さんは「ミクニマルノウチ」のデザート部門で働いてひと通りのフランス菓子を身につけ、あるイタリア料理店の製菓シェフを任された。イタリア菓子の知識は持たず、迷いながらイタリアンデザート作りに向き合ったが、「現地に行けば郷土菓子がたくさんあるはず」と一念発起。11年に渡伊し、最初の修業地がシチリアだった。

「リートゥス」のシェフ、塩月紗織さん。イタリアのグルメ雑誌「ガンベロ・ロッソ」のベスト・パティシエに選ばれた

地中海最大の島シチリアは、あまたの異民族から侵略された歴史があり、それぞれの影響を受けた独自の食文化が育まれた。9〜11世紀はイスラム教徒に支配されたため、ドライフルーツやナッツを多用するアラブ風の菓子も豊富だ。塩月さんは北西部のパレルモと南西部リカタの二つ星レストランで働きながら全島を歩き、各地域の菓子を研究。同じカンノーリでも町によって異なることを知る。「地域の特性が大切に守られ、菓子も料理もその土地のものしか使わず、素材の持ち味が素直に生かされている」と心打たれた。

シチリアは製菓材料の宝庫でもある。世界一おいしいといわれるアボラ村のアーモンドやブロンテ村のピスタチオ、レモンやオレンジなどの果物類、オリーブ、粒が硬くたんぱく質が多いデュラム小麦の名産地で酪農も盛んだ。なかでも塩月さんが感動したのは、できたてのホヤホヤでまだ温かく、ミルクの香り高いリコッタチーズだった。全国で食べられても、シチリアのカンノーリが特別においしいのは、この新鮮なリコッタチーズのたまものだ。

シチリアの次に向かったのは、北部ロンバルディア地方だった。穀倉地帯で粉の種類が多く、卵とバターをたくさん用いる発酵生地を使う菓子に、膨大なバリエーションがあった。丸めた発酵生地を揚げてカスタードかリコッタチーズのクリームを絞るボンボローニは、カンノーリに並ぶリートゥスの看板菓子だ。SNSで「イタリアの生ドーナツ」と話題になり、これが目的のドーナツ好きが行列をつくることもある。

最後にオーストリアと国境を接するトレンティーノ地方の三つ星レストランで働き、7年間の修業を終え、帰国。21年に開業した。イタリア菓子の飾らない味を知ってほしいと各地で学んだ地方菓子をアレンジなしで提供する。

ジェノバを代表する焼き菓子3種。手前はパンドルチェバッソ、ハート型はサクサク軽いメスコランツァ、円形は卵黄のみで作るカネストレッリ(東京都武蔵野市の「ステファノアンナ」)

吉祥寺「ステファノアンナ」は、07年の開店から一貫してビスケット類を中心に、イタリアの焼き菓子が専門という希少な店である。ティラミス、ビニエ(イタリアのシュークリーム)といった生菓子もあるがそちらは脇役といった風情で、常時30〜40種もが並ぶ焼き菓子の棚は壮観だ。客の8割は近所の人という地域密着ぶりで、お気に入りを少しずつ買い求める男性も多い。

シェフの石川晶子さんは、吉祥寺で生まれ育った。地元の調理専門学校を卒業後、20歳で単身イタリア北部の港町ジェノバへ渡り、老舗「マンテッロ」で3年間修業した。学生時代はパリのお菓子に憧れ、実際に旅をして有名な菓子店巡りをしてみたが、どこのケーキも重くて濃すぎ、口に合わなかった。その足で訪れたジェノバで評判の菓子屋がマンテッロだ。ビスケット類が多種多様で、味が全部違って個性的なことに驚いた。何よりも、特別感を漂わせていたパリの菓子とは対照的に、煎餅やおかきのような普段のおやつとして生活に根づいていることに感激して「これだ!」と自分の進む道を決めた。

イタリアのビスケットの多彩な味を支えるのが、材料の細かな使い分け。粉類、砂糖ともに5、6種類を使い、出したい食感と風味に合わせて組み合わせを変える。マンテッロでは、とくに多用する粉糖はグラニュー糖から手作りしていたという。卵の使い分けも独特で、卵白だけ、卵黄だけ、白身と黄身どちらかを多めに入れるなどで違いを出す。

レパートリーが200種を超える「ステファノアンナ」の石川晶子シェフ

「見た目は地味だから分かりづらいですが、ひとつひとつに材料の要素が味にしっかりと表れて、それを分かってくれる方が増えているのがうれしい」と石川さん。

マリトッツォに続いてボンボローニやパネトーネなどの発酵菓子の人気が上昇しているが、その次に来るのは、"映えない"が食べると深い魅力がしみじみと伝わるイタリアのビスケットかもしれない。

食文化研究家 畑中三応子

吉川秀樹撮影

[NIKKEI The STYLE 12月1日付]

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