#○○がお伝えしますのコーナー、6日は瀬良がお伝えします。
8月8日の地震では、宮崎県内で重傷者2人を含む合わせて10人がけがをしました。
重傷者のうちの1人は、日向市の工場で勤務中だった50代男性で、避難中に一時、心肺停止となりましたが、同僚の助けで一命をとりとめることができました。
当時、現場はどのような状況だったのか、災害時に命を救った行動に迫ります。
(木野智博さん)
「呼吸が途中で停止していることがわかりまして、その時点で、もうこれも圧迫しないとって言って、その瞬間からです」
8月8日午後4時42分。日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生。
宮崎県内には津波注意報が発表され、日向市細島では地震発生から約30分後の午後5時13分に津波の第一波が到達しました。
細島港から約350mの位置にある、旭化成バッテリーセパレータのハイポア日向工場は、有事に自動で閉まる防潮堤が発動し、当時、工場内にいた100人以上が海抜16.4メートルの屋上へ避難しました。
(木野智博さん)
「震度3とはいえ(防潮堤が閉まることは)日常そんなに起きないので、やはりただことじゃない、何かが起こっている(と思った)」
生産技術課の木野智博さんは、部下の男性と2人で急いで屋上へ…その時でした。
(木野智博さん)
「何か後ろでバタンって音がして、あれと思って後ろを振り返ったら、自分の目の高さに誰もいなくて、斜め下を見たら、彼がうつ伏せに階段のところで倒れていて、あれっと思って声をかけ始めた」
木野さんは屋上にいた同僚たちを大声で呼び、助けを求めました。
木野智博さん)
「(心臓に)元々不安を抱えていたのも聞いていたので、もしかしたらと思ってその可能性もあるかなと思って、念のためAEDも用意しましょうと言った」
木野さんは、助けに来た岩切さんと上山さんと一緒に、救急車が来るまでの約20分間、心臓マッサージを行いAEDも使用しました。
懸命な措置によって、男性は救急隊の到着前に心拍が再開。
2日後には意識が回復し、現在は職場復帰しているということです。
(上山祐紀さん)
「自分たちの処置で、まず心臓(の動き)も戻ってくれたのがもう本当に良かったと思った」
(岩切進一さん)
「1人でできることは少ないと思う。でも、その連携で一人助かってるなら、それで充分だと思います」
(木野智博さん)
「俺がやらなくても他の人がやってくれるだろうとか、それでチャンスを失うのが一番怖いと思っていて、もし自分がわからないんだったら、人を呼んで力を合わせれば何とかできる」
こちらの工場では年に6回、消防署で救急救命の講習を受け、年に2回、工場内で避難訓練を行っていました。
担当の部署が毎回違うシナリオを考えて、訓練を重ねてきたことで、突然の地震、同僚の心肺停止という緊急事態でも従業員の連携で命を救う行動につながったということです。
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