30年前の6月、長野県松本市で8人もの犠牲を出した「松本サリン事件」で、当時、未知の化学兵器だったサリンと戦った医師が岐阜県で講演し、教訓を語りました。

中部国際医療センターの奥寺敬医師:
「松本サリンで亡くなった方はみんな生活動作中なんですよ。ビデオカセットを入れようとして倒れている、風呂から出ようとして倒れている。逃げる暇がない、動けない、ほとんどその場で亡くなっているんです」

 2024年5月14日、岐阜県美濃加茂市で講演した中部国際医療センターの奥寺敬医師(68)は、多くの犠牲を出した無差別テロ「松本サリン事件」で、被害者の治療にあたりました。

 30年前の6月27日夜、長野県松本市でオウム真理教が起こした松本サリン事件は、猛毒であるサリンが住宅街に散布され、8人が死亡するなど多くの被害が出ました。

奥寺敬医師:
「意識はなく応答もとれないんだけど、血圧が上がって脈拍が高くて、要するに薬が効いた状態ですよね。普通の心肺停止とかけいれんとか脳卒中とは明らかに違う、ちょっと異様な感じでしたね。若い学生が今まったく知らないですよね。これはやっぱり話さんといかんなと思いましたね」

 当時、未知の化学兵器だったサリンと対峙した奥寺医師。若手の医師らに、あらゆる可能性を迅速に判断できる医者になってほしいという思いを伝えていました。

奥寺敬医師:
「医者が知識を持たないと、何が来たんだと分からなかったら困るから、それはこっちの責任ね」

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