忙しい業務の中を縫い、おかげ横丁やおはらい町を歩き問題点や改善点を探る「伊勢福」社長の濵田朋恵さん。観光で訪れたかつての従業員と会うと気さくに声を掛けた=三重県伊勢市宇治中之切町で2024年5月12日午後3時38分、大竹禎之撮影
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 伊勢神宮内宮前のおはらい町の一角にある「おかげ横丁」(三重県伊勢市)。江戸~明治期の門前町のにぎわいを再現しようと、当時の建築物が移築された通りには多くの観光客が行き交う。一時、コロナ禍による観光客の減少で苦境に陥ったものの、運営会社の伊勢福は「待っているだけではいけない」と地元の祭りをてこ入れするなど活性化をはかってきた。

 おかげ横丁は1993年、伊勢神宮内宮の宇治橋から約800メートル続くおはらい町通りの中ほどに開設された。伊勢名物を製造、販売する「赤福」が、バスで訪れる団体客が増えたことで人通りが減った時期があったため、にぎわいを取り戻そうと開設を主導。運営会社として「伊勢福」を立ち上げた。

 大きな常夜灯が建つ正面入り口から、江戸、明治の街並みを思わせる古い建物が並ぶ。赤福や伊勢うどんなど地元の名物が楽しめる飲食店や土産物店など54店舗が軒を連ねるほか、紙芝居の公演や太鼓の演奏など年間を通してさまざまな催し物が企画され、多くの観光客を楽しませてきた。

 参拝前後の多くの観光客が行き交うようになり、コロナ禍前の2019年には年間で592万人が訪れた。しかし、コロナ禍により、20年は年間365万人にまで激減。各店舗も経営に大きな打撃を被った。

 ここで伊勢福は再起をはかるため、活性化に取り組む。例年9月に行われる「神恩感謝日本太鼓祭」に、高齢化する常連だけでなく若い人にも参加してもらおうと検討を開始。「太鼓打ちの登竜門的なコンテストに育てていきたい」と22年から新たに大太鼓一人打ちコンクールを始めた。また、舞台での演奏だけでなく、通りを練り歩く「太鼓巡行」を復活させるなど周囲を巻き込むようにした。

 「若い人にも知られ、参加してもらえるようになった」と手応えを感じるのは赤福副社長も務める伊勢福の濵田朋恵社長(56)だ。普段から現場主義を徹底し「店舗や現場を見ないと、自分も理解できないし、お客さんが何を求めているのかわからないと思う」と話す。多忙な中でも時間が空けばおかげ横丁を回り、問題点を探ってきた。

 濵田社長は赤福創業家の11代目で現顧問の典保さんと93年に結婚。午前4時半には赤福本店の店頭にある朱塗りのかまどに火を入れることを結婚以来、日課として続けている。伊勢福では「委託店のみんなと一緒に横丁、町を作っていきたい」という気持ちから、あえて社長とは名乗っていないという。

 こうした横丁全体での取り組みも功を奏し、22年には400万人を超えるまで人出が戻ってきた。

 昔見たことのあるような風景や古き良きものとして、おかげ横丁の魅力を感じてもらう。伊勢福が目指すのは、その魅力を次の世代へとつなげていくことだ。【大竹禎之】

当時の「赤福」社長が開業

 1992年設立。本社は三重県伊勢市。「赤福」の濵田益嗣社長(当時)が140億円を借り入れ、周辺の土地を取得して93年に開業したおかげ横丁を運営する。おかげ横丁は、赤福が1707年から創業の地で商いを続けてこられたことへの感謝や、江戸時代に庶民の間で流行した「おかげ参り」、「おかげさま」という日本的な心情を尊重して名付けられた。

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