袴田巌さんの再審公判が結審し、記者会見する(右から)姉のひで子さんと主任弁護人の小川秀世氏ら(22日午後、静岡市)=共同

1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判が22日、静岡地裁で開かれ、検察側は再び死刑を求刑した。多数の証拠が袴田さんが犯人であることを示していると強調したものの、決定的な新事実は最後まで出てこなかった。

検察側の論告に続き、弁護側も最終弁論で改めて無罪を主張。7カ月に及んだ再審公判は結審した。判決は9月26日に言い渡される。

確定判決が有罪の決め手としたのは事件から約1年2カ月後に現場近くのみそ工場のタンク内から発見された「5点の衣類」だった。袴田さんが犯行時に着ていたもので、犯行後にタンク内に隠したと認定された。

再審公判の最大の争点は、この衣類に付着した血痕の色の変化だ。

再審開始を認めた2023年3月の東京高裁決定は検察側、弁護側双方が実施した再現実験の結果などを踏まえ、「1年以上みそ漬けされた血痕の赤みは消失する」と認定。衣類は犯行時に犯人が着ていたものではなく、袴田さんの逮捕後に捜査機関によって工場タンク内に隠匿された捏造(ねつぞう)の可能性があると指摘した。

これに対して検察側は論告で、血痕が赤みを失うかどうかは周囲の酸素濃度に依存すると指摘。みそタンク内の様々な条件を十分に考慮して実施した検察側の再現実験は「1年余りみそに入っていた場合でも血痕に赤みが残りうることを示している」と主張し、袴田さんが犯行時に着用していたことが「優に認められる」と訴えた。

証拠捏造との批判も「非現実的で実行不可能な空論」などと強く反発。再審開始を認めた裁判所の判断を「専門的な事項の証拠評価を誤った」と批判した。

検察側は再審請求審で最高裁への特別抗告を断念した以降も「犯行時の着衣と認められる」との主張を崩さず、再審公判では一貫して有罪立証を試みてきた。

新たに法医学者ら7人による共同鑑定書を提出し、検察側の実験の正当性を主張。弁護側の実験についてはタンク内の具体的な環境を踏まえていないなどと手法に疑問を投げかけ、血痕の赤みが残らないとの結果について「なぜ断定できるのかが不明。十分な根拠を伴っていない」と訴えた。

凶器の発見状況などから工場関係者による犯行と強く推認され、袴田さんの犯行を示す多数の証拠が存在するとも指摘。「5点の衣類を除いても、犯人と相当程度推認できる」と強調した。

ただ、検察側が再審公判で提出した証拠はいずれも袴田さんの犯行を直接裏付けるものではなく、状況証拠にとどまる。内容もすでに確定審や再審請求審で出ているものが大半で新事実が示されることは最後までなかった。

これに対して弁護側は最終弁論で、確定判決が犯行時の着衣と認定した衣類は発見時に捜査機関が隠した捏造証拠だとし「無罪であることは明らかだ」と主張した。

そもそも再審は刑事訴訟法上「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があった場合に認められる。よほど決定的な証拠が示されない限りは無罪の公算が大きい。

事件からすでに58年が経過し、関係者の多くがすでに亡くなっており、新たな事実を掘り起こすのは容易ではない。袴田さんの年齢も踏まえ、早期の無罪判決を求める弁護側は「議論の蒸し返しだ」と批判してきたが、検察側は「関係する証拠を分断して個別に評価するのではなく、総合評価という観点からの検討が必要」と複合的に証拠を評価するべきだとして譲らなかった。

この日検察側は被害者遺族の「真実を明らかにしてほしい。尊い4人の命が奪われていることを忘れないでほしい」とする意見陳述書も読み上げた。

静岡地検の小長光健史次席検事は結審後「(袴田さんが)有罪であることは立証された。十分に検討して死刑を求刑した」と強調した。

死刑再審、過去4件はすべて無罪


戦後、死刑が確定した後にやり直しの裁判が行われたのは袴田巌さんより前に4件ある。いずれも検察は確定審と同じく死刑を求刑したものの、すべて再審無罪となっている。
戦後初めて確定死刑囚の再審開始が認められた「免田事件」では、強盗殺人などの罪に問われた免田栄さん(故人)に対し、検察側は再審公判で再び死刑を求めた。熊本地裁八代支部は1983年に無罪を言い渡し、検察側は控訴を断念、無罪が確定した。
その後立て続けに開かれた「財田川事件」「松山事件」「島田事件」の再審公判でも検察側は死刑を求刑し、いずれも無罪が言い渡された。検察は控訴せず一審で決着している。
刑事訴訟法は再審を認める条件として「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」が必要と規定しており、いったん再審開始が認められれば、再審では無罪判決が言い渡される公算が大きい。
東京電力女性社員殺害事件や足利事件など死刑以外の事件では検察側が無罪判決を求めたり、有罪立証を見送ったりしたこともある。
一方で再審開始のハードルは極めて高い。再審請求審の審理は長期化しやすく、再審開始決定が出ても検察側は不服申し立てが可能で最高裁まで争うこともできる。
袴田さんのケースでは、2014年に静岡地裁が再審開始を認めたが、検察側の即時抗告を受け、18年に東京高裁が結論を覆した。その後、最高裁での差し戻しを経て東京高裁が再び再審開始を認めたのは23年で最初の再審開始決定から9年が経過していた。
検察側は最高裁への特別抗告を見送ったものの、再審公判で袴田さんの有罪を立証し、再び死刑判決を求めた。弁護側は早期の無罪判決を求め、方針の撤回を訴え続けてきたが、検察側は応じなかった。

識者の見方


龍谷大の斎藤司教授(刑事訴訟法)の話 再審は、確定審で提出されていたら有罪が覆ったであろう新証拠がある場合に認められる。事実上無罪とする判断が示されながら、再審公判の審理を白紙の状態から始めるのは、冤罪(えんざい)被害の早期救済の観点でも望ましいとは言えない。
再審での審理の進め方に関するルールがほとんどなく、今回の公判では迅速さと丁寧さのバランスを取ることが必要で、進行の難しさもみられた。「司法は間違えない」という考え方を改め、再審制度の抜本的な見直しを国会も含めて進めるときだろう。

元東京高裁部総括判事の門野博弁護士の話 7カ月という審理期間が適切かどうか一概に評価するのは難しいが、審理の進め方に問題があったようには思われない。
ただ袴田さんは高齢で、長年受けてきた精神的な苦痛などを踏まえると、人権の観点からより短期間の審理が必要だったとも言える。新たな証拠申請を認めないなどの訴訟指揮も考えられただろう。
再審公判では、証拠捏造(ねつぞう)の指摘がある中、弁護側が法廷で取り調べの録音テープを流すなどしたことは評価できるが、議論が深まったとは言い難い。裁判所がこの点をどう捉えたか判決が注目される。

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