写真は、太平洋戦争勃発とともに始まったマレー作戦の際、現地の人々に強烈な印象を残した銀輪部隊の姿である。
日本軍が自転車に乗って、怒濤(どとう)のごとく南下する光景は、マレーシアやシンガポールでは今も忘れることができない記憶として残る。実際、シンガポール国立博物館には銀輪部隊の巨大な写真とともに、当時使われた自転車が何台も展示されている。
当時、工業化が遅れていた日本の輸出品のひとつが、実は自転車であった。日本軍は自国製の自転車に乗って英連邦軍との戦いにまい進しようとしていたのである。むろん冗談などではない。
しかし、彼らがたどった道は決して平たんではなかった。山や森が続き、河川などでは自転車を担いで渡ることも頻繁にあった。一日に何度もパンクの修理に追われもした。
戦争中には思いもよらないことであったが、多くの兵士が戦っていたのは、敵軍との武力戦よりも、戦場を渡り歩く中での疲労感や飢えと渇き、マラリアやデング熱などの感染症、そして虫歯であった。
連載では「毎日戦中写真」を読み解き、この時代だからこそ考えるべきテーマとして「戦争と報道」をとりあげていく。(貴志俊彦・京都大教授)
守り通した記録解説
毎日戦中写真は終戦時、戦争責任の証拠となることを恐れた軍部から焼却を命じられたが、当時の社員が寺や社屋の地下倉庫に隠し、守り通した。記録されていたのは、戦地の様子だけでなく、取材者の姿や暮らし、自然や動物たち。写真とともに保存されているアルバムには、軍による検閲記録も残る。
連載「戦中写真を読む」では、日中戦争から太平洋戦争まで、北はアリューシャン列島から南は太平洋諸島まで、若いカメラマンや記者の目でとらえた戦争の多様な側面を、京都大の貴志俊彦教授が解説する。
毎日戦中写真
毎日新聞社のカメラマンや記者が日中戦争から太平洋戦争にかけ、海外で撮影した写真・ネガ約6万枚。東京大、京都大との共同研究に基づき、2025年を目標にデジタルアーカイブ化に取り組んでいる。
貴志俊彦(きし・としひこ)
1959年生まれ。京都大東南アジア地域研究研究所教授。専門はアジア近現代史とメディア史。近著に「帝国日本のプロパガンダ」。
おことわり
この連載の写真説明は、当時の記述を基に、現在の用字用語に即して表記します。「○○基地」など軍事機密として伏せ字にされていた地名は、そのまま表記します。
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