沖縄は23日、第二次世界大戦末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が営まれた。日米両軍の激しい戦闘で、住民を含む約20万人が命を落とした地上戦から79年。中国が軍事力を強化する中、米軍基地の集中に加え、自衛隊の増強も進む状況に、玉城デニー知事は「平和宣言」で「県民は強い不安を抱いている」と憂慮を示し、外交による緊張緩和を求めた。
追悼式は県と県議会主催で、約4500人が参列した。
沖縄には1972年の日本復帰から52年が経過した今も、面積比で全国の米軍専用施設の7割が集中する。さらに、政府は近年、安全保障環境の悪化を理由に、陸上自衛隊の拠点開設や部隊の増強を進める。今後は那覇市を拠点とする陸自第15旅団を2027年度までに「師団」に増強する他、台湾に最も近い与那国島の陸自駐屯地にもミサイル部隊の配備を計画している。
こうした状況について、玉城知事は平和宣言で「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち県民は強い不安を抱いている」とし、「(沖縄戦で)無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのか」と疑問を呈した。
その上で、ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区を巡る状況を「戦争という過ちを繰り返し続けている」と批判。東アジア情勢についても、米中対立や中国の軍事力強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題を列挙し、「抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている」として、各国に外交や対話での問題解決を求めた。自身も、自治体外交を展開し、東アジアの緊張緩和と信頼醸成に貢献すると誓った。
政府が進める米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画については、断念するよう改めて求めた。
追悼式には岸田文雄首相も参列し、あいさつで「今もなお、沖縄の皆様には米軍基地の集中などによる大きな負担を担っていただいている。重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くす」と述べた。南西諸島での自衛隊配備や辺野古移設計画には直接触れなかった。
沖縄戦などの犠牲者名を刻む平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」には新たに判明した181人の名前が刻まれ、刻銘者数は24万2225人になった。【比嘉洋】
沖縄戦
第二次世界大戦末期、米軍は日本本土を攻略する拠点とするため、1945年3月26日に沖縄本島の西方沖にある慶良間(けらま)諸島に、4月1日に本島中部の西海岸にそれぞれ上陸した。日本軍は本土決戦の時間稼ぎのため持久戦を展開。司令官の自決で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日まで約3カ月に及んだ地上戦で、日米合わせて約20万人の死者が出た。そのうち住民の死者は9万4000人(推計)に上り、沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせて、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。
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