長野県松本市で1994年6月、オウム真理教が猛毒サリンを噴霧し8人が犠牲となった松本サリン事件から27日で30年となった。「息子が生きていたら、どんな家庭を築いていたか」。静岡県掛川市の小林房枝さん(82)は、会社員の次男、豊さん(当時23)を亡くした。教団側は損害賠償を全額支払っておらず、補償は道半ばだ。
事件発生の翌日午前4時過ぎ。房枝さんは自宅で、松本市に長期出張していた豊さんが「危篤」という知らせを受けた。驚きのあまりはっきりと覚えていないが、数分後には「亡くなりました」と2度目の連絡があった。
その日の夕方、房枝さんは警察署でようやく息子に会った。人懐こくて明るい性格の豊さんは、ひつぎの中で眠ったような顔。涙は出ず、何も考えられなかった。
2018年、教団幹部らの死刑が執行され「死刑になって当然。でも憎むべき標的がいなくなった」。喪失感が残った。
一連の事件の被害者や遺族は教団側に賠償を求めてきた。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」によると、房枝さんを含む約1200人が約38億円を請求した。
教団の破産手続きと後継2団体の支払いから約19億円の配当があったが、オウム被害者救済法に基づく国の給付金約8億円を充てても、10億円余りが未払いのままという。房枝さんも全額を受け取れていない。
房枝さんら遺族の代理人、伊東良徳弁護士は「教団側は財産を信者名義の口座や金庫に保管していると聞く。現在の法律では特定しきれない」と指摘。房枝さんは「泣き寝入りは駄目だ。国が損害賠償を立て替え、加害者側に請求する制度が必要だ」と訴える。
警察庁は今年4月、犯罪被害給付制度の改定案で給付金引き上げを決めたが、立て替え制度の導入は見送った。
今、房枝さんの心には奪われた未来に対する思いが残る。長男の子を見ると「豊にも、こういう子がいたんじゃないか」と想像してしまう。あの日から30年。「事件を覚えている人の方が少ない時代になった」とつぶやいた。〔共同〕
▼松本サリン事件 1994年6月27日夜、長野県松本市の住宅街で猛毒のサリンが噴霧され、住民7人が死亡、約600人の重軽症者が出た。県警は第1通報者の河野義行さん宅を容疑者不詳のまま家宅捜索し、河野さんの犯人視報道も続いた。95年3月、東京で地下鉄サリン事件が発生。一連の事件でオウム真理教元代表の松本智津夫元死刑囚(麻原彰晃、執行時63)らが逮捕された。2008年、サリンで意識不明だった河野さんの妻澄子さんが亡くなり、松本市の事件の死者は8人になった。〔共同〕鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。