最高裁判決を前に自宅で心境を語る原告の小島喜久夫さん=札幌市北区で2024年6月24日、貝塚太一撮影

 50年来の親友からの突然の告白だった。「新聞に載ってた手術、俺もされたんだ」。2018年2月初旬、しんしんと雪が降り積もる寒い日だった。あれから6年。札幌市の金田守さん(78)は、旧優生保護法下で不妊手術を強制されたとして国を提訴した小島喜久夫さん(83)=同市=の歩みを見守り続けてきた。長い闘いは3日、大きな区切りを迎える。

 小島さんは18年、同種訴訟で初めて顔と名前を明かして提訴した。3日には道外4件の訴訟の原告らと共に、最高裁大法廷で判決を言い渡される。

 同じ会社のタクシー運転手だった小島さんと金田さんは、20代の頃からの付き合いだ。金田さんは、提訴前から小島さんの相談を受け、弁護士に提出する書類を代筆するなど支えてきた。

 小島さんが過去を金田さんに打ち明けたきっかけは、18年1月、同じ手術を受けた宮城県の女性が全国で初めて国を訴えたニュースを知ったことだった。

談笑する金田守さん(右)、小島喜久夫さん(中央)、小島麗子さん=札幌市で2024年6月30日午前10時13分、後藤佳怜撮影

 小島さんは19歳の時、医師の診察もないまま「精神分裂病(現在の統合失調症)だから」と強制的に手術され、約60年間誰にも言えずに隠してきた。妻・麗子さん(81)や金田さんら親しい友人には、「小さい頃、おたふく風邪になったから子供ができない」と説明していた。

 だがニュースを見て、胸の奥に閉じ込めた傷がうずいた。最愛の妻の笑顔が浮かび、「離婚することになったら耐えられない」と葛藤したが、「自分の人生に起きた本当のことを話したい」と決意し、麗子さんに伝えた。麗子さんはショックを受けながらも、共に声を上げる道を選んでくれた。

 麗子さんの次に告白した相手が金田さんだった。しっかり者の金田さんと豪胆な性格の小島さんは、タイプは違えど不思議とウマがあい、頻繁に飲み会やカラオケに出かける親友同士。小島さんは悩みができる度に金田さんの家を訪れるほど信頼していた。

 「手術されたんだ」と聞き、金田さんも驚いた。だが、弁護士への相談を迷う小島さんの背中を押した。金田さんはタクシー会社の法務部門での勤務が長く、法的手続きに詳しい。「いつどこで、誰に何をされたのか教えてくれ。全部書いてやるよ」と申し出た。

 小島さんは手術をした病院や、担当の医師や看護師、入院させられた他の人たちの名前などをはっきり覚えていた。金田さんは、弁護士らに説明する際に困らないよう経緯を原稿用紙に手書きし、小島さんに渡した。

最高裁判決を前に心情を語る原告の小島喜久夫さん(奥)。2018年に手術の過去を打ち明けた妻・麗子さん(右)と共に歩んできた=札幌市北区で2024年6月24日、貝塚太一撮影

 18年5月、小島さんは「同じ手術をされた仲間が声を上げられるように」と実名で札幌地裁に提訴。金田さんのメモは訴状作成や意見陳述の際にも活用された。「金(かね)ちゃんが書いてくれた紙、裁判が始まってもずっと役に立っていたんだよ」と小島さんはほほ笑む。1枚の原稿用紙は、心強い味方が贈ってくれた「お守り」のようだった。

 21年の1審・札幌地裁判決は敗訴となったが、23年に札幌高裁で逆転勝訴。小島さんは社会を動かそうと精力的に活動を続け、テレビや新聞の取材を受ける度に「あした出るよ」と金田さんに電話で知らせた。

 「口下手で人前に出るタイプではないのに、堂々と話すようになった。たいしたもんだよ」。照れくさそうに親友を褒める金田さんも、小島さんのニュースは欠かさずチェックし、我がことのように思ってきた。「理不尽な手術をされ、どんなに悔しかったか。もし自分がそうだったとしても同じように闘ったと思うから、力になりたい」

 3日、小島さんは麗子さんと共に東京へ向かう。金田さんは、札幌の自宅で吉報を待つ。「良い判決を勝ち取りたいな」。札幌をたつ前に集った小島さんたちは、6年前に手術を打ち明けた時と同じリビングで笑い合った。【後藤佳怜】

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