1399人が犠牲となった仙台空襲から7月10日で79年です。仙台市青葉区では空襲や第二次世界大戦で亡くなった人を追悼する合同慰霊祭が開かれました。
1945年7月10日、アメリカ軍のB29爆撃機123機が1万2000発を超える焼夷弾を仙台市中心部に投下しました。1399人の市民が犠牲となり、市街地は焼け野原になりました。
仙台市は毎年7月10日に、合同慰霊祭を開いています。
仙台市 藤本章副市長
「次世代への戦争体験の伝承が今まで以上に重要性を帯びつつあり、より一層の不断の努力が求められております」
合同慰霊祭は2020年以降、新型コロナの影響で献花を遺族会の代表などに限定して行うなど、形式を変えて実施しています。
兄を戦争で亡くした 荒井みつ子さん(92)
「ああいう激戦があって、ああいう時代があったっていうことを、今恵まれた時代になってきたので、後世には絶対に伝えたい、伝えなくちゃならないなと思って、そればかり私も必死になってご供養しています」
今年は去年より1人少ない39人が出席し、犠牲者に追悼の祈りをささげました。
一方、7月10日は、子供たちに当時の様子を伝える平和学習もあり、仙台市内4つの小学校の6年生、およそ200人が参加しました。
及川節郎さん(68)
「防空壕の中から空を見ました。B29から焼夷弾が雨のようにザーザー音をたてながら落ちてくる」
及川節郎さん(68)です。仙台空襲を伝える活動を続けています。
及川節郎さん(68)
「こちらは軍事教練という、戦うための訓練です。女子は敵が攻めてきた時は竹やりで戦えと訓練をしていました。学校は勉強するところではなく、国のために戦争のために働く人間を作る場所だった」
初めて聞く、戦争の悲惨さ。子供たちは当たり前にある平和の尊さを学んでいました。
児童は
「お母さんにつくってもらっているご飯が、当時の子たちはなくて配給だけだったと思うと、自分がすごく幸せな暮らしをしていると思った」
「人々の命を奪うのは戦争なので悲しい気持ちになった。平和っていいなと思ったので、いろんな国の人に、このことを教えて世界の平和をつくっていきたい」
及川節郎さん(68)
「事実をつかむことによって、平和への尊さを自分たちで感じてくれると思った。いろんな人と知り合っていく。その人たちと一緒に平和の尊さをお互いに語りあったり、伝えあったりできればいい」
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